2010年05月05日
白鬚神社その1〜その視線の先に
琵琶湖西岸の白鬚(しらひげ)神社。
全国に二〜三百社あると言われる白鬚神社/白髭神社(ほぼシラヒゲと発音)の本社的な存在のようです。
ただ、後述するように、ほんとうに一系統なのかどうか、検討を要します。
が、ここではまず、その本家本元、滋賀県の白鬚神社に絞って書きましょう。
その前にお断りしておきますが、
私の古代(弥生〜古墳)の世界観は、次のようなものです。
日本列島(の少なくとも中央部)と朝鮮半島とは、ほぼ一体となった地域である。
それぞれの地域で国家は別々に消長を繰り返したし、
言語はもう少し以前に分離してしまったが、
人びとの意識の上では、一体であった。近しかった。
したがって、
<倭>が<高句麗>を侵攻したとしても、
<任那>が<倭>の領土であっても、
<新羅>人が<倭>の王となったとしても、
いずれもまったく不都合はない。
それは、
どの地域の王であっても、
他の地域でも「貴種」として尊敬を得ることを意味する。
まして、
<百済><加耶、任那><新羅><高句麗><倭>の人びとが他国に移住したときに、
出身国の違いを理由として争いを続けていたとは考えない。
国家は後の時代ほど人を本質的に規定しない。
(もちろん、役人として派遣された場合を除く)
さて、白鬚神社だが、
何十年も前、朝鮮半島の歴史を少しかじっていた若い日、
たぶん金達寿(キムタルス)氏の文章だったと思うが、この「白髭とは新羅のことである」という著述に出会って衝撃を受けた。
それ以来ずっと訪ねたくて、でも私の心の準備もなく、強引に私を連れ出す機会もないままになっていた。
今年ようやく白髭神社に行くことができ、肩の荷が一つ少なくなった気分である。
金氏の文は結論しかおぼえていないが、
私の発想はもちろんその間に一人歩きし、
シラヒゲ、シラガ、シラギ、シラ、シラヤマ、ヒラ等々の音がずっと私の脳裏をかけめぐっていた。
しかし研究不熱心な私ゆえ、
この白髭神社の祭神が猿田彦(サルタヒコ)であることとの関連を考えたことがなかった。
今春、近畿の地図を眺め回したあげく、熊野本宮大社、伊勢神宮と超ど級の神社をめぐったあとにこの白髭神社を訪問し、たいへんなことに気がついた。
社伝(白鬚神社HPの「御縁起」)によれば、
例の倭姫(ヤマトヒメ:アマテラスを伊勢に遷宮した姫)が伊勢でサルタヒコに出会い、サルタヒコは五十鈴川川上の地(おそらく現在の内宮)を薦め、自分はこの湖西の地に住居を移した、とある。それがそもそもこの神社の創建の元になったと。
私は若い頃から神社が好きで、
縁起や祭神、文化財的価値などよりも、その立地、植生などの環境と社殿の向きを確かめる癖がある。
(もっとも、確かめたあと、メモもしないで片っ端から忘れてしまうので、まったく価値がない癖だが。)
今回この神社を訪問し、拝殿に背を向けて立ち、なぜか既視感にとらえられながら湖に浮かぶ鳥居を眺めたときも、
その先に何が見えるのかを確かめた。
鳥居越しには、対岸の手前に沖島が見えた。正面だ。
この島自体、古い祭祀の跡の残る、ちょっと特別な島なので、
その場はなんとなく納得して帰途についた。
自宅でその体験を反芻し、
白鬚神社についてあれこれ考えていると、
ようやく祭神のサルタヒコに思いが及んだ。
サルタヒコが道案内の神であることは知っていたし、
ヤマトヒメに伊勢神宮の地を教えたのがサルタヒコであることも、別の資料で知っていた。
沖島?
おや?
サルタヒコと伊勢?
というわけで、はやる気持ちにせかされながら、google地図上に、白鬚神社と沖ノ島を結ぶ線を引き、それをそのまま延長した所、
なんとその線は伊勢内宮を通過した。
より大きな地図で 白鬚から伊勢へ を表示
サルタヒコは、倭姫を、いや、アマテラスを見守り続けたのだ。
あるいは、伊勢の地を誰かに示し続けていたのだ。
拝殿と鳥居の向きが、いにしえから変わっていないことを願います(笑)
続編があります。
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Posted by gadogadojp at 20:30│Comments(2)
│神社/仏閣
この記事へのコメント
初めまして、ネット検索していてたどり着きました Pawpaw と申します。
滋賀県の白鬚神社を起点に真東に600km程向かうと、6~7世紀の一時期高句麗系渡来人が住んでいたと言われる大磯の高麗山にある高来神社辺りに行き着きます。実際は真東は1~2km程南の海上ですが、誤差は1%未満です。
更に、高来神社から真北に100km程向かうと、716年に高句麗人を移して出来た高麗郡の、信仰の中心地である高麗神社と聖天院辺りに行き着きます(これは某小説で見かけたネタです)。
旧高麗郡周辺にも白髭・白鬚神社が沢山あるのはご存知かと思いますが(ある資料では28社)、この地の白髭神社は、高麗郡成立の中心人物で後に白髭様と呼ばれた高麗若光への信仰が元になっているようです(これもご存知かもしれませんが)。
高麗郡に移住した高句麗系移民の目には、高麗若光こそが「サルタヒコ:道を示す者」に写ったのではないでしょうか。ただし、滋賀の白鬚神社と高麗若光との関係は今のところ何も無く、単なる私の妄想です(^^;。
では!
滋賀県の白鬚神社を起点に真東に600km程向かうと、6~7世紀の一時期高句麗系渡来人が住んでいたと言われる大磯の高麗山にある高来神社辺りに行き着きます。実際は真東は1~2km程南の海上ですが、誤差は1%未満です。
更に、高来神社から真北に100km程向かうと、716年に高句麗人を移して出来た高麗郡の、信仰の中心地である高麗神社と聖天院辺りに行き着きます(これは某小説で見かけたネタです)。
旧高麗郡周辺にも白髭・白鬚神社が沢山あるのはご存知かと思いますが(ある資料では28社)、この地の白髭神社は、高麗郡成立の中心人物で後に白髭様と呼ばれた高麗若光への信仰が元になっているようです(これもご存知かもしれませんが)。
高麗郡に移住した高句麗系移民の目には、高麗若光こそが「サルタヒコ:道を示す者」に写ったのではないでしょうか。ただし、滋賀の白鬚神社と高麗若光との関係は今のところ何も無く、単なる私の妄想です(^^;。
では!
Posted by Pawpaw at 2011年08月29日 14:08
pawpawさん、はじめまして。
興味深いご教唆ありがとうございます。
サルタヒコの全体像はあまりに大きく、わたしは茫漠とした思いをまだ当分抱えて行きそうです。
今後もアイデアがありましたら、ぜひ教えてください。
では。
興味深いご教唆ありがとうございます。
サルタヒコの全体像はあまりに大きく、わたしは茫漠とした思いをまだ当分抱えて行きそうです。
今後もアイデアがありましたら、ぜひ教えてください。
では。
Posted by gadogadojp
at 2011年09月09日 10:12
