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2020年12月03日

紀伊半島フィールドワーク:国道42号線コース3:道の駅すさみ〜串本・橋杭岩

紀伊半島フィールドワーク:国道42号線コース3:道の駅すさみ〜串本・橋杭岩
「紀伊半島フィールドワーク」

国道42号線コース3
:道の駅すさみ〜串本橋杭岩


・紀伊半島を廻る国道42号線に沿って進むライトなフィールドワークです。

・決まり事と目次は最初のページをご覧ください。

大字(おおあざ)(あざ)は進行の目安になり、また地域の重要な歴史が潜んでいることもあるので赤字にしました。(すべての字を掲載しているわけではありません)

・お好きな地図(国土地理院地形図、googlemapなど)を伴侶にお読みください。




紀伊半島フィールドワーク:国道42号線コース3:道の駅すさみ〜串本・橋杭岩

橋杭岩ライトアップ:もっと素朴な照明でも中上健次さんが嘆いた。これはこれで美しいと思うのは、私が紀州人でないからか。

紀伊半島フィールドワーク:国道42号線コース3:道の駅すさみ〜串本・橋杭岩

串本海中公園の海中展望台


◉『道の駅すさみ』〜和深
・『道の駅すさみ』のすぐ先に白亜の『カフェPanorama』があるが今のところ縁がない。一日二時間営業と聞くとやたら行きたくなるのはなぜ。


・江住の集落があり、江住駅がある。未踏。江住の由来も漢字そのまま入江に住む意味かもしれないが少し疑問が。江須之川の隣が江住。岬は江須崎。エスが語幹のように使われている。ならば江に住むというのは当て字かもしれない。
ではエスとは何だ。まさかイエスではない。フロイトやユングのかけらをかじった私は無意識に荒唐無稽な連想をしてしまう。

里野は大字。字は宇の平見中平見大平見と続く。いずれも平坦な場所なのでそのままの地名由来と思う。推理するに、地元民の視界ではなく大辺路巡礼の視点から作られた名称か。”宇の”の意味が気になる。ひさし?屋根?


・三つの平見は海岸段丘上の平坦な地形なので、水利はきびしそうに見える。事実水田は見当たらない。畑地は多い。地下(ぢげ、じげ)に入ると小河川沿いの沖積地が細長く続き、ここには水田がある。地下という土地の呼び名は紀州に多いが、「元々私らが住み着いた場所」的なニュアンスを感じる。後から来たあんたらはあっちに住んどき、という排他性があるかどうかは土地による。


紀伊半島フィールドワーク:国道42号線コース3:道の駅すさみ〜串本・橋杭岩

里野海岸、右奥の建物が『マルカン』。その店横に小さな駐車場がある。


・里野の海には江戸時代に船が多数浮かんでいたというが、今は皆無ではないか。入江には突堤や港湾もない。その分、白砂と遠浅の海が美しい。調べてみると夏期には海水浴場になるらしい。もっともだと思うが、それなのに駐車場もシャワー設備も無いようだ。浜の前の『マルカン』のラーメンが気になっている。が、この店の営業時間も短い。

・里野はすさみ町の東端。その先は串本町和深。串本町に入ってすぐに宿が二軒あって目立つ。一軒は国道沿いの高台に『ブルーマーメイド』というコテージタイプ、もう一軒は眼下の小さなビーチに『ビーチテラス』という白い建物。ドミトリー部屋もある。周囲に人家もなく事実上のプライベートビーチ。ただし石が多い。

雨島という字に小さな港湾と陸揚げされた4,5艘の小さな船が見える。和深の最西端の集落。眺めの良い平坦な磯場で、釣りをしない私には釣りやすそうな風景に見えた。でも釣具店の案内を読むとかなり難しい磯らしい。素人はうかつに断定してはならない。わずかに車を停めるスペースがある。

・大字は和深。JR和深駅は海岸の目前にあって海風がまともに当たる立地。線路を通すために地盤を盛っているが、駅裏の川沿いなら標高は2,3mしかない。海が敵ならば駅を最前線にして集落は北方向の奥地に潜んでいる。すさみ町の口和深の項で触れたが、和深川沿いに和深の谷は細く深い。水田もある。しかし人家が絶える場所まで遡っても標高22mほど。湾内の水深が深いとも思えない。「続風土記」のいう和深地名の”海が深い”由来には納得できない。やはりその昔は湿地が入り込んでいたか。しかしこの標高の低い浜辺〜谷間が元々の和深。これもまた地下(ぢげ)だ。


紀伊半島フィールドワーク:国道42号線コース3:道の駅すさみ〜串本・橋杭岩




・一方、その谷の方向と直角に、つまり東西にも町は広がっていて、段丘の上に家屋が建つ。少しばかり畑地もある。標高は35~45mの範囲だから、この両エリアは南海トラフ地震の大津波にも安心。西側など家屋も整頓されて並んでいる。私のような元都会住みから見れば(その元をたどればイナカ人というか漁師町生まれだが)標高の高い住宅街の方が住みやすく見える。しかしあくまで中心地は低地の川沿いなのだろう。古くから人が住み、漁業を活発に行い(もちろん海は単なる敵ではない。)、水田耕作に有利な川も流れている。神社や寺も谷にある。墓地は高台にあった。

・和深漁港は集落から少し東に離れた小さな入江に整備されている。私は車をうまく港に進入させられず一瞥しただけなのだが、あまり船はいなかった。午後だったが出航していたのかもしれない。古い地図が見つからないので推測だが、国道42号またはJR線路の拡張整備のために移動したのではなかろうか。南紀熊野ジオパークのあるあたりを散策すれば旧港の痕跡があるかもしれない。

・追記。その後ジオパーク看板まで行った。集落に広場があって駐車できた。移動販売者の女性が地元の女性とのんびり会話していて温かい。田辺方面のホームは小さなトンネルをくぐるのだがこれが佳い。ホームからの眺めも。海まで進むと、どうやら堤防状に整備されていて旧港の面影はなかった。なお現在の港に5,6艘の船が見えた。


紀伊半島フィールドワーク:国道42号線コース3:道の駅すさみ〜串本・橋杭岩

田並劇場外観


◉和深〜田並

・この辺りの熊野古道大辺路は海岸沿いを通っていた。波かぶる難所もあったというが特定できていいるとは限らない。しかしここから先には新田平見道(にったひらみみち、石畳残存)という名が残っていて、海岸段丘上に古道が残っている。未踏だが、国道からも近いので少しは歩いてみたい。その後の古道上には富山平見道(石畳残存)などもあって、大辺路ファンには嬉しい場所だ。地名では安指(あざし)、九九平見(九ノ平見)、赤瀬田子(大字)、元峰平見中平見を通り、江田浦に着く。田子(たこ)は蛸だと思いたいが田子川沿いには水田があるのでこの説は劣勢か。


・江田海岸には双島(そうしま)という景勝地があり、国道から見える。双島にはワンジュという蔓性の大木が繁っているという。ダイビングや釣りのメッカ。その手前の海岸には”サラシ首層”と物騒に名付けられた岩塊。転がっているように見えるが、実は独立せずに地盤につながっている。江田海岸にもみごとな褶曲が見られるなど、ジオパークとしてこの辺りは絶好のポイント。双島前ドライブインの廃墟化が残念。ちなみにこのGS併設のドライブインは『シーサイドサンワ』という名で、1970年前後から40年ほど続いていたらしい。


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双島とサラシ首層。後者はもう少し西側の方がよく見える。廃ドライブインから。


江田集落では、西側の国道沿いで集落の入り口に当たる場所に徳大明(とくだいみょう)神社が建つ。産土神だろうがまるで道祖神のような場所だ。小さいながら村をまもる気概の塊のような赤い鳥居が目立つ。この前に港があったらわかりやすいが無い。小さな船が繋がれている場所は浅い入江の反対側の細い突堤だ。港の変遷史を知りたい。近くに車の駐車スペースがなくて残念。伝聞だが、この神社には丸い石が奉納されているそうだ。紀伊半島には多い風習。とはいえ全国の神社でも見かける光景だ。例えば北陸白山比咩神社では力石として使われたという掲示があったが、いかにも持ち上げにくそうな丸すぎる形の石もあった。私には少し持論が芽生えているので、いずれ書きたいと思う。神社の先の『八瀬(はつせ)寿司』が評判高いが未食。江田集落は国道の奥にあって水田もある。


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田並の古い看板


田並(たなみ)漁港があるのは字野なぎ。ダイビングショップが二軒見える。これを過ぎると田並集落に入る。田並は古座川の一枚岩のちょうど南に当たるのだが、山に阻まれ互いを結ぶ車道はない。

・地図を眺めると田並川沿いの谷は比較的開けていて、水田の多さが目につく。まさにそれが地名の由来か。ただし安土桃山時代の検地帳には田弁の文字が見える。海や川沿いの低地の面積は周辺ではもっとも広く、そのためか人口も多くかつては繁栄した。

・この海はサンゴ生育の北限に近く、サンゴを焼いた灰を石灰として生産していたと聞いた。ふと、石英を大量に含む白良浜の砂をガラス材料として掘っていた白浜を思い出した。それぞれどのような業者が実行していて、その業者は今はどうなっているのだろう。責めているのではなく、歴史的に推移を知りたいのだ。

・田並には境界争いや大火、サエラ(=サンマ)漁船の遭難、津波被害など歴史上の困難の記録は多いが、それでも生き抜いてきた町。ハワイなどへの移民が多く、その仕送りで豊かになったという。住民によれば、銀行や商店など都会にあるものは一通り揃っていた時代があったのだという。またハワイの漁師との交流から生まれたケンケン漁を日本に伝えたのも田並の漁師だという。

・地図を見ると田並の町中の道はきわめて狭い。どう見ても漁師町だ。調べてみると昭和44年の国道改修の際に旧田並漁港はなくなり、少し離れた西側に現在の田並漁港を作ったそうだ。
とするなら旧港の位置は川口の近くだろうか。少し歩いてみたい。

・田並駅前に『田並劇場』という魅力的な空間がある。移住者夫婦が手仕事で閉業中の元芝居小屋をリニューアルした。映画上映やイベントなどの際にはカフェもオープン。→HP ここでも移住者が伝統や歴史を大事にしながら新しい風を吹かせている。


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串本海中公園で孵った子ガメ


◉田並〜串本(橋杭岩)

・田並から有田に通じる旧道大辺路は飛渡谷道(とびやたにみち)と呼ばれ、一部が世界遺産に。未踏だが石畳の道も残存。有田との境界争いの歴史を反映して、境界石が立っているそうだ。

・次の集落は有田(ありだ、駅名はありた)。目前に立派な有田漁港と有田湾。江戸時代にカツオ漁が急発達し、近在の漁師たちと境界争いが頻発したという。紀伊有田駅は有田川がうがった谷の奥にあるが、川に沿ってさらに奥まで水田が作られている。紀北の有田市などとの混同に注意。田が在る、のではなく、在る田、の語順になる理屈は何だろう。漢文の素養の効果なら、名付けた時代はある程度新しい。ちなみに紀北の有田(在田)の元は荒田であるとの説がある。

・有田川上流には吐生(はぶ)の滝がある。未踏。小さな滝だが、写真を見ると滝と祭祀とが一体化しているような神聖感が。午前中に詣って滝水を飲むと婦人病や腰から下の病気に効くそうだ。

・田子、江田、田並などこの海岸線の集落は車道で(多くは山道ですら)北側に抜けることはできない。国道や国鉄が開通するまでは船または険しい大辺路を歩いて東西の他郷に赴くことしかできなかった。言い換えれば船の威力は凄いとも思う。

・逢坂山隧道を抜けると『串本海中公園』。水族館はウミガメの飼育で有名。他にも見所は多いし、海中展望台までの道を歩くだけでワクワク。海中の透明度も高いので、併設のダイビングパークを利用して潜るのも魅力。『エビとカニの水族館』、『エネルギーランド』、『クジラの博物館』、『樫野崎トルコ記念館』のそれぞれと共通割引入場券あり。


・この公園の場所は錆浦(さびうら)。続いて東雨(あずまめ・弘法大師の伝説)、高富(虫送り行事)。ここまでは大字高富。この先は二色。二部(にぶ:丹生だろう。)、二色(にしき:丹敷?)などという趣深い字を通過していくと中ノ島が浮かぶ港(ふくろみなと)。白浜町にも同じ名の細長い入江があるが、こちらは袋の形が丸い。
このあたり海岸線から灯台の立つ潮岬がよく見える。砥崎という岬が潮岬を見えなくすると串本は近い。

・高富の国道沿いには尾鷲(おわし)牧場があり、少し離れて『尾鷲牛乳直売所』がある。紀南には珍しく地場の牛乳生産をしている牧場。低温保持殺菌をしていて美味しくて安い。地場だけに夏と冬とで味が変わるところが良い。白浜・田辺などの一部スーパーでは曜日限定で買える。またこの牛乳を使う飲食店はうまい。


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串本。袋集落を過ぎると国道は一挙に南下し、ようやく串本の平坦な市街地に入る。白浜空港から80分見ておけばいい。高速を使えば60分。潮岬に行く道がまずあり、直後に紀伊大島に向かう道が分岐する(潮岬にも東回りで行ける)。そしてUターンするように北上する。

・串本市街地はかつて島だった潮岬との間に生じた砂州上にあって道が狭い。そのため国道は中心地を避けてぐるりと回って先に進む。駐車は串本駅周辺で。駅近くには『儀平』という和菓子屋や和食店『満口』(未食)がある。町の探索はそこから歩いて戻るといい。

・先に進むと右側に区画整理された町が続く。一歩入れば紀伊大島が目の前だ。先に進むと港湾や体育館、『大江戸温泉物語』などがある。つまりこの通りは埋め立てをして生まれたエリアだ。そこに『TSUBAKI COFEE』がある。倉庫を改造したアメリカンな建物がおしゃれ。コーヒーやデザートが美味いし、時期によるが軽食もある。その場で作るピーナツバターも安くて美味い。糖類無添加。


紀伊半島フィールドワーク:国道42号線コース3:道の駅すさみ〜串本・橋杭岩




・埋め立てが始まったのは大正時代。昭和30年以降には大規模になった。その前は下浦海岸という白砂青松・遠浅の景勝があったそうだが、今は完膚なきまでに消え去っている。公共施設や港湾も含めてこの埋め立てが串本の発展を支えたことは間違いないが、今となってはとても大切なものが消え去った事になる。日本の近代化とはそういうことだと私は思っている。「下浦海岸道路は昔は道らしきものなく、只海浜を伝い歩いた・・・」(『串本町誌』)


・串本の詳細や潮岬・紀伊大島はまとめて別項で書くが、ここではクシモトという名前について一言。「串」という字だけで地理院の地形図で検索をかけてみると、全国のおびただしい地点に串の字が使われていることがわかる。まだすべての地点の地形図をじっくり眺めたわけではないが、使われた地形の大多数は二つに大別できることに気づいた。一つは岬、小半島に使われている。二つ目は内陸部で、川や平野・盆地に比較的近い場所の山付近に使われている。海と山、両方に使われていることから、仮に同じ意味だとすると、なかなかおもしろい謎が生まれる。もう少し考えたい。「続風土記」はここ和歌山県串本については”越”の意味だとする。あながち間違ってはいないかもしれない。

・すぐに『道の駅橋杭岩』に着く。とても賑わっている。橋杭岩が目の前という絶好のビューポイントだから。年末のライトアップも美しい。でも客が多過ぎるせいか、全体にホスピタリティーの不足を感じる。ただし尾鷲牛乳のソフトクリームなどを売る一角はローカル色があって接客も温かい。トコブシ煮などあれば買い。道の駅に用事がなければわずか手前の海水浴場駐車場が静かで良い。橋杭岩が遠望できるし、紀伊大島の眺めも堪能できる。

・橋杭岩(はしぐいいわ)という奇岩奇勝は百聞は一見にしかず、見ていただくのが一番良い。その成因についてはここで詳しく書くことは控える。ただ、周囲が砂岩や泥岩であるにもかかわらず、橋杭岩は火成岩であると言うことを言うに留める。いずれ紀伊半島の火成岩の貫入について素人なりのラフスケッチをしてみたい。なお、橋杭は文字通り橋脚を表すととるのが自然な解釈だが、橋を喰うととれば、別項で書く太地に棲むと言う岩を喰う魔物の伝説にたちまちスポットライトが浴びて面白い。

鬮野川(くじのかわ)。橋杭岩のある場所の大字は鬮野川。私はこの漢字は書けない。拡大する。



紀伊半島フィールドワーク:国道42号線コース3:道の駅すさみ〜串本・橋杭岩

橋杭岩:手前の岩は、これまでの津波等で橋杭が壊れて転がったものだという

※以降の行程は別項で。発表時期は未定。本ブログとしては次に中辺路を扱う。



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