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2010年11月21日

「與喜天満神社」〜三輪山あたり:その3

「與喜天満神社」〜三輪山あたり:その3

 初瀬川対岸から眺める與喜山:形の美しい乳房に見えませんか?本文参照。


⑤「與喜天満神社(よきじんじゃ)」

a.はじめに

シリーズ「三輪山あたり」は今回で終了します。

三輪山/大神神社にはこれまで幾度となく足を運びましたが、
三輪山の東、與喜山(よきやま)=天神山/與喜天満宮神社には特に関心を持っていませんでした。
ところが、奈良盆地の古代史に深入りするにつれ、三輪山塊と初瀬川を介して対峙するこの山の位置が気になり始めました。
初瀬街道を南に見下ろす標高455mのこの山には、古代の信仰の痕跡が必ず残っていると思えたからです。

まして、西側斜面は人工林化されていない天然記念物「与喜山暖帯林」として古代の山の面影が残されています。
古墳時代頃のこの地の風景にタイムスリップする格好のよすがになりそうです。

好奇心や直感によって、どこかの何かを研究してみたいと思いついた場合、
オリジナリティを保つために、私は予断を持つ前にまず真っ先に現地を訪ねることにしています。
そのフィールドワークの印象が落ち着いた段階で、おもむろに勉強を始めます。
多くの遺跡や故地、神社仏閣に関しては先学たちがおられるので、その方達の圧倒的な研究成果に引きずられて、自分で考える楽しみを「奪われる」ことを恐れるからです。素人の小知恵ですね。

とはいえ、著名な遺跡等の関しては、否が応でも何らかの知識の予断を持って臨んでしまうのもやむを得ないところです。何十年も生きてきたのですから。
しかし與喜山については特に何の知識もなかったものですから、逆に格別の期待を持って現地に赴きました。
しかる後に、この山について調べ始めたわけですが…私の守備範囲では驚くほど資料と出会いません。
目立った研究成果にもヒットしません。
つまり、考えるためのデータがないのです。

そんな中唯一、ネット上でMURYさんという方の「天神山/与喜山」サイトが、充実した内容を掲載しておられました。実際に山中にも分け入られたレポートも書かれてあり、この山に関心を持たれた方は必読の文章です。
したがって、以下はMURYさんの著述に大いに頼りながら、その上で細々と私の考察を書いていくことになります。


「與喜天満神社」〜三輪山あたり:その3

 與喜天満宮へ登る裏参道:少々ワイルドですが、いい風情。



b.與喜山は長谷寺の東

長谷寺の本尊は十一面観音像です。
十一面観音とは何者なのか、諸説あるようですが、古代インドの教理を描いた『ヴェーダ』に書かれた<ルドラ>神が、その始祖であるという説があると知りました。
ルドラは荒れ狂う神。風水害をもたらす神です。もちろん風や雨は人々に恵みをもたらしてもくれますから、善悪両面を兼ね備えているのですが、その本性は暴神、荒神なのでしょう。
日本における十一面観音は、ふつう右手を足れ下げて数珠をもつのですが、ここ長谷寺のその姿は、右手に錫杖(しゃくじょう)を持ち、しかも岩(大磐石:まるで磐座)上にすっくと立つのが特徴です。
慈悲や救済を求めて信者が訪れる一般の十一面観音よりも、さらに雄々しく猛々しい姿と受け止めて良いのではないかと思います。
それは仏の功徳の強さの表現と見ることもできますが、より本来の出自<ルドラ>神に近い存在だと考えて良いように思います。

なお、長谷寺HPの縁起ページによりますと、長谷寺の縁起は
「朱鳥( あかみどり )元年(686)道明(どうみょう)上人は、天武天皇のおんために銅板法華説相図( 千仏多宝仏塔 )を西の岡に安置、のち神亀四年( 727 )徳道(とくどう)上人は、聖武天皇の勅を奉じて、衆生のために東の岡に十一面観世音菩薩をおまつりになられました。」
と簡略に書かれていますが、前述のMURYさんのサイトにこのような文章がありました。長谷寺の寺伝に以下のような叙述があるというのです。

 「徳道上人が初瀬川に来た時、ほとりに巨木が横たわっていた。これは何かと村の老人に聞いたところ、『これは継体天皇11年、近江国高嶋郡三尾前の谷から洪水で流れてきた木だ。初め大津の浦あるいは難波の浦に漂着し70年が経つ。大和国高市郡八木に住む女がこれで仏像を造ろうと八木まで曳いてきたが死んでしまった。八木で30年が経った。次に大和国葛下郡の男が仏像を造ろうと当麻まで曳いてきたがこの男も死んでしまった。木の祟りという。村人にも災厄が降り注いだため、数十年後、木を恐れた人々によって最終的にこの初瀬に打ち捨てられた』という。
 徳道上人はこれで仏を造りたいと思って霊木を引き取り数年間礼拝する。ある夜、東の峰に3つのともし火があり、あそこで仏を造ろうと決意する。養老4年(720年)二月、霊木を現在の三燈の嶺と呼ばれる峰上に曳き上げ、そこに庵をむすぶ。時の太政大臣である藤原房前の使いがこの峰まで来て徳道上人の思いを聞き取り、聖武天皇の勅令が下りてとうとう十一面観音菩薩を彫ることに成功する。」



「與喜天満神社」〜三輪山あたり:その3

 與喜天満神社表参道


馴染みの「継体天皇」という文字がいきなり出現したので、驚いてしまった私です。
継体11年といいますと、おそらく西暦517年。『紀』によると宮は筒城(つつき:京田辺市?)。翌年三月に弟国宮(おとくに:長岡京市?)に遷しています。大水害などがあったために遷都した可能性は十分にありますし、<11年>と<11面>とは意図のある語呂合わせに思えます。いずれにせよ、なんとこの祟(たた)りの木、災厄の霊木は、200年あまり恐れられ、放置されていたという伝承です。
※西近江の朽木から安曇川を下り、三尾から琵琶湖を経由して木材が盛んに運ばれるようになった時代はずっと後のことだとされています。

徳道上人はこの霊木を<三燈の峰>にひきあげて、そこで仏を作ります。「数年間の礼拝」もさることながら、「天神山に特別な力が宿る、ここが仏を誕生させるにふさわしい特別な空間だと当時信じられていたことの証左と言えます。」と書くのは上記MURYさんですが、私もまったく同感です。<三燈の峰>には、この凄まじい霊力を放つ木の悪を善に反転させるほどのパワーがあった(と信じられていた)ということになります。
そしてMURYさんは、「奈良県立図書情報館」サイト内の「絵図展示ギャラリー 『初瀬山之図』」 から、與喜山こそがこの<三燈の峰>であると指摘されています。私にはもう目をみはるしかない卓見です。


「與喜天満神社」〜三輪山あたり:その3

 與喜天満神社


c.與喜山

ここまで書いてきたことからわかることは、
一つには上記の通りの與喜山の善の霊力の強さでしょう。
それにもう一つ、
この地域一体では、荒れ狂う神の存在、祟りをなす神の存在(それが在地のものであるにせよ、侵入者であるにせよ)が古代人には感知されていたことではないでしょうか。

そういえば、三輪山塊の北東山地内の笠(かさ)には笠山荒神社があります。荒神についてはほとんど無知なのですが、かまどの神だけの存在ではあり得ないと思っておりました。なぜなら、いずれの荒神の神像も、なんとも怖い姿をしているからです。その憤怒は、穢れを焼き尽くす、あるいは吹き飛ばす荒々しさを表現しているのではないでしょうか。(きっと初心者に過ぎますね、この記述)

その笠荒神はこの山の上(かみ)初瀬川の上流流域にあります。十一面観音の坐す長谷寺は初瀬川をはさんでこの山の対面にあります。荒ぶる神を善で慈悲深い神に化身させるほどの神威を持つ與喜山とは、いったいどのような山なのでしょうか。


「與喜天満神社」〜三輪山あたり:その3

 與喜天満神社摂社1:瀧蔵権現社〜元は瀧蔵権現がこの地の神であったが、天神に譲ったという伝承があります。その山ゆずりの際のことばが「よき山」。良き?善き?手斧? なお、この地域では、天神を素直に菅原道真と読み解くことは危険だと考えています。道真はこの付近の生まれだそうですが。


思考が煮詰まった私は、ここで妻の助けを求めました。
「きよらかな存在、というと何を思い浮かべる?きれいな川の流れ?」と私。
「生まれたての赤ちゃん。」と妻。
「なるほどお。出産と考えてもいいね。他には?」と私。
「光」と妻。
あ、そうか。

荒れ狂う神、祟りをなす神を、
<暴虐>ととらえるか<穢れ>ととらえるかでニュアンスは異なりますけれど、
ここ與喜山にはそれを鎮め浄めるすべてがあります。


「與喜天満神社」〜三輪山あたり:その3

 初瀬ダム


まず清流が流れています。
いまでこそ初瀬ダムなどという(水源として地元で恩恵を受けている方には申し訳ないけれど)不自然な建造物が初瀬川を濁らせていますが、初瀬川の流れはかつて清浄の極みだったのではないでしょうか。
ここ初瀬集落、あるいは上流の小夫(おおぶ)/修理枝(しゅりえだ)にも、斎宮が伊勢への道中に逗留して身を浄めた伝承が残っているくらいですから。

また、光にも事欠きません。
なぜなら、ここは初瀬(泊瀬)の東。この山の端から朝日がのぼり、籠り国(こもりく)の里初瀬を明けそめるからです。
三輪山や巻向山頂上に<神>がいたなら、與喜山から昇る太陽を見て、朝が来たことを知るからです。
大和の朝はここから始まります。

それでは赤子はどうでしょう。
少し長話になります。


「與喜天満神社」〜三輪山あたり:その3

 與喜天満神社摂社2:樟葉社と白太夫社…樟葉?!


ネット上で私が重宝しているのは、google mapや国土地理院の地図閲覧サービスなど、地図検索機能です。
前者の地形図や航空写真、google earth、後者の地形図などを見ていて、わっとのけぞる思いをしました。

籠り国の初瀬、という名の通り、初瀬集落は吉隠(よなばり)川が流れ、初瀬街道が通る三輪山塊南側の谷からは見えないのですが、それは與喜山から南西に伸びる尾根が目隠しをしているからです。
その先端部、初瀬川と吉隠川が合流する地点近くには長谷山口坐神社が鎮座しています。

その尾根を地図で見ると、
心霊写真のように、一度そう見てしまうともう逃れられないのですが、
これは男根?とはじめは思いました。
けれどそれ以上に、巨大な産道に見えます。
赤ちゃんが産まれ落ちる道です。

ならば與喜山(下記の地図では天神山)は子宮を抱えた母胎、母体です。
巻頭の写真のコメントも思い出してください。

與喜山は、
誕生、あるいは浄めと再生の山だったのです。


上記法道上人が十一面観音を造立した祟(たた)りをなす霊木は、この山に一旦納めることで怨念や穢(けが)れが祓(はら)われ、
産みなおされたのではないでしょうか。
直会(なおらい)。

そうしてみると、その霊木がオホド大王(継体天皇)と結びつけて語られる伝承は、
何事かを意味しているのかもしれません。


下の地図は、拡大したり、地形にしたりしてご覧下さい。

より大きな地図で 三輪あたり を表示



「與喜天満神社」〜三輪山あたり:その3

 與喜天満神社境内には、上のような陰陽石があります。
でもいつごろの磐座/依代なのか定かではありませんが、比較的新しいものに見えます。陰陽石や男根石信仰の痕跡は日本列島では珍しくありませんが、上記のような<発見>をしてしまった私には、至極当然な信仰との出会いに思えます。






「與喜天満神社」〜三輪山あたり:その3

 磐座:鵝形石(がぎょういし)〜ガチョウの形、とあるのですが、私にはそうは見えません。初見の際に、肝臓のような生々しさ、なまめかしさを感じた石でした。
 神社ではこの石と天照大神とを結びつけています。天神=アマテラスと考えても良いのかもしれませんが、この山から受ける印象は、アマテラスのような<後世>の匂い漂う<モダンな>神への信仰心ではなく、もっと土着の、もっとプリミティブな信仰の在り様です。縄文時代からこの山は特別な山だったのではないでしょうか。




「與喜天満神社」〜三輪山あたり:その3

 磐座:右上が掌石(たなごころいし)、左下が沓形石(くつがたいし)。何かを感じる石ですけれど、手前右の切り株が気になります。磐座を見えやすくするためにこの木を切ったのだとしたら、それはかえって磐座のためにならなかったのではと思います。そういう<曝され感>がこの場には漂います。磐座が不愉快そうです。ぜひ再考を。 



「與喜天満神社」〜三輪山あたり:その3

 掲示にこう書かれています。「この二基の石灯籠は、鍋倉神社(御祭神・下照姫)に捧げられたもので、與喜山中に座す磐座(いわくら)を遥拝(ようはい)する場所です。」 磐座については本文を参照してください。私は未見です。ここからは樹木にさえぎられて見ることはかないませんが、MURYさんは、ここから三つ目の尾根上に巨石群を見つけておられます。見たい。この山の秘密に触れてみたい。



與喜山の西側斜面には太古を思わせる照葉樹林が茂っています。
そのせいで、まだここには古代人の思いが漂っているような気配があります。
長谷寺に詣る方は多いのですが、
與喜山を訪れる方は少ないでしょう。
ただし、與喜天満神社のHPにはイマドキのパワースポットとしてPRしようとする意図が見えますから、最近は増えているのでしょうか。
表参道も良いのですが、できればやや北の小橋を渡って、裏参道から山を登ってください。
少しだけですが、この山の息吹が感じられます。
もし長谷寺詣の時間しかなければ、
その本堂の礼堂〜展望所からはこの與喜山が見えます。
寺の僧は、毎朝の勤行の一環で、この山に向かって礼拝を行うというMURYさんの情報もあります。
長谷寺はなぜこの地に建立されたのか、
建立されねばならなかったのか。
與喜山を見ながらふと考えてご覧になるのも一興かと思います。

さて、私は、初瀬街道を西にとり、
三輪山を眺めながら、家路につきたいと思います。




「三輪山あたり」 了



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Posted by gadogadojp at 14:30│Comments(2)歴史
この記事へのコメント
大変お詳しいですね。大変勉強になりました。
きよらかなもの、一つ加えさせていただいて宜しいでしょうか?水、だと思います。
Posted by あき at 2020年08月27日 14:20
あきさん、ありがとうございます。励みになりました。
はい、水は重要だと私も思います。ここでは「川」と書きましたが、山に湧く泉などの有無も調べてみたいところですね。
Posted by gadogadojpgadogadojp at 2020年11月05日 12:35
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