2010年04月11日
熊野本宮大社と大斎原
熊野速玉、熊野那智の各神社と合わせ、
「熊野三山」とはいいますが、
(「山」とは寺ですから、これは後世の神仏習合後の呼び名)
この熊野本宮こそが「蟻の熊野詣」に代表される熊野参拝の終着点、最終目的地であると、いにしえからの人びとには暗黙の了解があったように思われます。
この熊野本宮大社の主祭神は家津御子(ケツミコ)または家津美御子(ケツミミコ)とされていますが、他の項でも書いたように、元は熊野坐神(クマノニイマスカミ=熊野にいてはるカミさん)と呼ぶしかない巨大な神、あるいは神の集合体だと考えられます。
熊野詣にいこうとする都の公達も、「ケツミミコはんにおまいりにいこか」ではなく、「クマノにおまいりにいこか」と言葉にしていたと思うのです。
そしてその「クマノ」の心臓部は、ここ本宮だと私は見ています。
そう考える理由はたくさんありますが、結局は私自身の直観が頼りです。
いにしえからの人びとの祈念の塊のような気が、
ここ(現在の本宮の社殿のある場所周辺)にもっとも強く感じられたからです。
(あえて過去形です。そのわけは後半に。)
〜などと書くと、
私が神秘主義者であるかのように受けとめられるかもしれません。
あるいは流行のスピリチャラーであると。(そんな用語はなかったかな?)
でもgadgadoは人知を超えた存在に対する感応力があるとか、強いとか自覚している人間ではありません。
ただ、ニュートラルに、なるべくニュートラルに向き合いたいと思っているだけです。
それは、文明の発達で衰えたとはいえ、ヒトの持つケモノの本能のようなアンテナを信じているということと同じ意味です。
また、百年後には、いわゆるスピリチャルポイントの存在を、最新の科学で証明できるかもしれないとも思っています。
それは単に磁場とか重力とか、
マグマの上昇ポイントであるとか(この発想はけっこうイイ線を突いていると思うのですが?)
などと説明され、なあんだということになるのかもしれません。
さて、私の話をもう少し続けます。
そういうgadogadoが、「あ、ここは他の場所とは違う」と生まれて初めて感じたのが、ここ熊野本宮周辺でした。
中学生の頃でしょうか。
本宮の拝殿の背後の山の付近に、なにか大きな気配があるような感覚です。
この体験の記憶は長く続きましたが、
それを誰に言うこともなかったように思います。
さて、すっかり熊野に惹かれた私は、
その後も何度か熊野本宮あたりに足をのばしました。
当時は、奈良の五条(または東大寺大仏前)から国鉄のバスで行くしかありませんでした。
大斎原の大鳥居:金属製。私はこの鳥居のある風景に馴染みましたが、何か気流を乱しているような不安な気持ちになります。これ以上ここに人間が何も作らないことを望みます。
自分の意志で熊野に行った最初の機会に、
大斎原(おおゆのはら)の存在を知りました。
なんの知識も持たず、
本宮参拝をすませて熊野川に近づいた時、
昔ここに社地があったという看板を見て、
ふらふらと立ち寄ったというていどの行動だったと思います。
しかし、
音無川にかかる橋を渡り、
この中州状の何も無い空間(当時は大鳥居もありませんでした)に足を踏み入れたとき、
ここだ!
と何か歯車が噛み合ってトルクが全身に行き渡ったような、
一種の到達感、成就感を感じました。
この地にたちこめる、
いえ、ドーム状にこの中州を覆っている空気は、
本宮の背後の山に感じた気配とはまったく別の、
透明で、厳しくて、圧力のある、
別世界の気魄のような存在感を伴っていました。
しかもそれは超然としておらず、
私の中までまさぐり尽くす、よくも悪くも能動的な動きをします。
いえ、言葉にするとすべてウソになりますが、
私にはこの程度にしか表現できないだけです。
gadogadoにはわかりました。
少なくとも、いにしえの人びとは、この特別の感じをとらえて、
熊野詣の実感を得たにちがいありません。
これは人びとの祈念の集積などという猥雑さとは別次元の、
確かにここだけにそしていつまでも在る何かです。
ご存知の通り、明治22(1889)年8月、台風に伴う大豪雨が熊野川流域を襲い、
ここより上流の十津川村付近では豪雨とこれに伴う山崩れは、
十津川(熊野川)の随所をせきとめ、まもなく決壊させ、
この本宮大社付近にも、信じられない量の土砂、土石、倒木が押し寄せて、
現在の八倍もの規模であったという旧神社を、ほぼあとかたもなく流し去ったのでした。
(その後、丘の上に再建されたのが、今日の熊野本宮です。)
大斎原から熊野川方向を眺める
120年前のその洪水で社殿や宝物はそのまま川を流れ下り、
熊野灘から太平洋に流れ去ったのですが、
それはある意味、
人びとが作り上げた信仰の集積はすべからく補陀落(ふだらく=ポータラカ)渡海を遂げ、
この中州からヒトの気配が消し去られ、
後には、本来のクマノニイマスカミの気魄だけが残っている、
と象徴的に考えざるをえなくなりました。
久しぶりに今回大斎原を、
初めて妻とともに訪ねました。
妻は私と似たような感覚をおぼえたようですが、
ちょうど体調が悪かったせいでしょうか、
初めての訪問のせいでしょうか、
肩のあたりにずしりと圧力を感じ過ぎ、
そのあとひどく肩を凝らせました。
やや手慣れた私は距離感をとれますので、
心身が浄められたような実感を得ました。
でも相変わらずこの空間は、
いつまでもいたい、でも落ち着かない、
むずむずする、でもここにいたい〜というような、
熱い温泉に入っているような心地にさせます。
大斎原は特別の場所です。
すべての熊野参詣道は、
ここへ、あるいはここから通じる気脈なのでしょう。
人びとはこれに従って、
いまも熊野詣を繰り返しているのです。
新しい本宮付近にも歴史が積み重なり、
人びとの祈念が霞のように揺れ動く気配としてたなびいているのでしょうが、
さらに二千年の後、
新たな死と再生が、今の本宮に訪れるような予感がします。
2011.9.14
台風12号の大雨は熊野川流域のあちこちで山崩れを起こし、氾濫も起きたのですが、
ここ大斎原は泥をかぶっただけで済んだようです。
(本日のTVの映像)
熊野本宮大社の被害情報は伝わっておりません。
ただ、泥の撤去は大仕事になる、と文化庁の役人のことば。
Posted by gadogadojp at 20:30│Comments(2)
│神社/仏閣
この記事へのコメント
はじめまして。
突然の書き込み失礼致します。
私もこの場所に大変興味と言うか 深い感覚を観じます。
言葉に成らないけど 確実に何かがあると言う。。。
不思議でまた強烈な波動を観じます。
何故か今日目に留まって書き込みを・・・何か素晴らしい感覚を受けています。ありがとうございます。
突然の書き込み失礼致します。
私もこの場所に大変興味と言うか 深い感覚を観じます。
言葉に成らないけど 確実に何かがあると言う。。。
不思議でまた強烈な波動を観じます。
何故か今日目に留まって書き込みを・・・何か素晴らしい感覚を受けています。ありがとうございます。
Posted by 天心らら at 2011年01月20日 12:31
天心ららさん、
はじめまして、いらっしゃい。
書き込みありがとうございます。
さらに、熊野への感覚が共有していただけるようで嬉しいです。
ブログを少しだけですが拝見しました。
今後もご活躍くださいませ。
はじめまして、いらっしゃい。
書き込みありがとうございます。
さらに、熊野への感覚が共有していただけるようで嬉しいです。
ブログを少しだけですが拝見しました。
今後もご活躍くださいませ。
Posted by gadogadojp at 2011年01月21日 00:52