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2010年10月29日

天孫降臨3〜オホドファイナル9

天孫降臨3〜オホドファイナル9

  沖縄の祭祀に使われる仮面

1)天降りの第四波:ニニギの天孫降臨

タケミカヅチによる大国主の帰順作戦が完了し、いよいよ高天原の太子アメノオシホノミミの天孫降臨、となるはずのところが、この神は「身支度をしている間に子が産まれた。この子を降ろすのがよろしいでしょう。」と、相変わらず消極的である。
そこでその子アメニキシクニニキシアマツヒタカヒコホノニニギノミコト(またはアマツヒコホノニニギノミコト)という長大な名を持つ神が天降りすることになった。アマテラスの孫であるから、これを天孫降臨と言う。以後その名は省略してニニギと呼ぶ。

ニニギは多数の神々を引き連れ、国津神のサルダビコ(猿田毘古)の案内も有り、無事に「竺紫の日向の高千穂の久士布流多気(つくしのひむかのたかちほのくじふるたけ)」に天降った。(『記』)

この天孫降臨をめぐって検討しなければならない点が二つある。

A.まず、ここはどこかという問題だ。
「竺紫の日向の高千穂の久士布流多気」という表現には、地名が四つも書かれていて、ミステリならば初めから犯人が明らかにされているようなあんばいである。
ところが実は、この地名比定は曖昧なものにならざるを得ない。
『記紀』に多数見受けられる現実の土地地名起源説話に立ち入っていないからだ。
つまり、『記紀』が成立した8世紀の地名がここでは意識されていない。

「竺紫」はさすがに九州を指すとして、「日向」はもうわからない。地名ですらないかもしれない。
「高千穂」も、地名というより普通名詞に近いし、「久士布流多気」は、特定の山を指すように見えながら、比定できそうな山名が今も見つからない。
どうやら『記紀』はその地をあえてぼかしている。
実際の天降りは水平移動だから、いきなり山に着くはずがない。天降り、という上下移動の幻想を強調するための山のイメージ喚起の作為だろう。

ヒントが皆無なわけではない。天降った地の説明として、
「韓国(からくに)に向ひ」、「笠沙(かささ)の御前(みさき)を真来(まき)通りて」、さらに「朝日の直刺(たださ)す国、夕日の日照る国ぞ」などの記述は有る。
ところがこの記述を素直に読めば、前述の山の上のイメージとは矛盾する。
朝鮮半島に対面し、岬をまっすぐ通ったらたどりつき、朝日も夕陽も浴びる地、つまり平地…と解釈すれば、ここは九州の海沿いの平地と見るほかはない。
この点は後で再度検討する。


天孫降臨3〜オホドファイナル9

  沖縄本島最北端付近にて


B.もう一つ考察せねばならない問題は、政治的な問いだ。
ニニギ、その子ホオリ(火遠理命=いわゆる山幸彦)、その子アマツヒタカヒコナギサタケウカヤフキアエズ(天津日高日子波限建鵜葺草不合命)のいわゆる日向三代。彼らがこの地にとどまったまま、倭国平定(東遷)に動こうとしないのはなぜか、という問題である。
その間彼らは地元の神の娘、海の神の娘たちと婚姻して子をなしているから、着々と地盤を固めていたのだろう。
しかしそれなら大国主の国ゆずりとはなんだったのか、という疑問が当然わき起ってくる。
天降り第三波タケミカヅチの働きは無駄だったのだろうか。

その答えは簡単には見つからないが、いくつかの想定は可能だ。たとえば、
①国ゆずりとこの天孫降臨は、何らかの意図によって時系列が逆に描かれた。つまり、実際はニニギの天孫降臨のあとで大国主は国を譲った。〜しかしどんな目的で逆にしたかが不明だ。
②大国主の版図は、実は出雲周辺にとどまっていて、倭国全土の支配が可能だったわけではない。または、大国主の予想に反して、各地の神たちがコトシロヌシの命を聞かなかった。〜しかし、それならそれをうかがわせる記述があるはずだ。また、大国主はすでに大和の三輪山に神を鎮座さすほど広範囲に及ぶ力を持っていたはずなので、しっくりこない。
③タケミカヅチの平定が中途半端な範囲に終わっていた。〜いや、この神の軍勢は信濃の諏訪湖にまで達している。

いずれの仮説も決定力に欠ける。
そこで、別の角度から考えてみる。


日向の地に三代にわたって逗留した長い期間、天孫族は何をしていたのか、もういちど検討してみよう。

まずニニギが娶ったオホヤマツミ(大山津見神)の娘コノハナノサクヤビメ(木花之佐久夜毘売)に関する説話が載る。
「山」の勢力を味方にした説話だと思われるが、出産のエピソードも含め、それなりの量の記述が有る。

さてそれ以外に何が?と改めて『記』を読んでみると、実はその残りスペースには、いわゆる海幸/山幸の伝承だけしか書かれていないことに気づく。
<日向三代>とはいいながら、その大部分はホオリ(=山幸彦)を主役とした物語が独占していると言っていい。

ホオリ説話の展開軸は、兄ホデリ(=海幸彦)との確執、そしてホオリの勝利に至るストーリーだ。
これは明らかに、天孫族の内紛を示している。東遷が遅れた一因はそれだろう。
だがそれだけでは、なぜすぐにその父ニニギの時代に大和に向かわなかったのかという説明として不十分だ。

もう一つの展開軸がある。
小舟に乗ったホオリが綿津見(わたつみ)神の世界にたどりつき、海神の娘トヨタマビメ(豊玉毘売)と共に暮らす。三年後、ホオリが元の世界に戻ってから、トヨタマビメがホオリをおいかけてやって来て出産する。
つまり、ホオリとトヨタマとのロマンス話。

けっきょく、日向三代の記述の中で、このロマンスに最大のスペースが費やされているのだから、必ずここに、天孫族が長くとどまり続けなければならなかった秘密が隠されているはずだということに思い至った。
その結果、次のような仮説的結論を得た。


天孫降臨3〜オホドファイナル9

  復元された首里城



C.結論
天孫族(高天原勢力)は、たしかに地盤固めをしていたのだ。
たとえばオホヤマツミに代表される、九州の山の神の支援が必要だったのだろう。
しかし最も重要な地盤固めは、海の勢力との結託であった。
それはトヨタマとの婚姻によって獲得された。
海の勢力とは何か。小論の流れに沿えば、それは沖縄の邪馬台国以外にあり得ない。
トヨタマは邪馬台国のトヨ(䑓与)〜卑弥呼の後継〜ではないか。

天孫族は、すでに倭の神の王、大国主から国土を譲り受けた。つまり出雲の祭祀権を得ている。
しかしそれでは、倭の正統となるための条件がまだ不足していたのだ。
もう一方の神格の高い神々の系譜を譲り受ける必要があったのだ。
それは海の神、邪馬台国の王の血統を自らの血脈に流し込むことだった。

ホオリとトヨタマは子をなした。その子が、トヨタマの妹を娶ってなした子がトヨミケノミコト、別名がカムヤマトイワレビコ、つまり神武天皇である。邪馬台国の神の血は十分に濃縮された。
神武が東遷して倭国の重要部分、三輪山の麓を支配するためには、
大国主の祭祀と卑弥呼の血統という二つの正統を手に入れなければならなかったのだ。
かくして倭国の異端=天孫族は正統となる。


天孫降臨3〜オホドファイナル9

 沖縄の海と島



結論は見えた。
以下はつけたしに過ぎない。

『記紀』に現れる日向三代の地名には薩摩地方を示すものが多い。
たとえば
い)前述の「笠沙の岬」の場所は、(今も地名が残る)鹿児島県南さつま市の笠沙付近と思われる。(『記』)
ろ)ニニギが見初めた美しいコノハナノサクヤビメの別名は神阿多都比売。『紀』の注釈には、阿多は薩摩の国の地名と書かれている。
は)海幸彦すなわちホデリは隼人(ハヤト)の阿多君(あたのきみ)の祖だと注釈がついている。(『記』)

いま仮に笠沙の岬から、島々にぶつからないようにまっすぐ線を北方向に引くと、釜山から少し西のトンヨンで朝鮮半島に出会う。
西に移動するとヨス(麗水)そしてモクポ(木浦)などの地名がある。
このあたりは(6世紀頃の地域名で呼ぶなら)加羅(加耶)から百済南部にかけての地域だ。
それなら笠沙の地を「韓国(からくに)に向ひ」と表現しても不自然ではないのではないか。

こう考えれば、天孫族の本拠地日向、高千穂の所在は、北九州ではなかった。
奈良時代の国名でいえば、薩摩から南日向一帯を支配していたのだろう。
ここから南へ海を渡ればすぐに奄美。ここは沖縄邪馬台国の北端である。
ホオリはここ邪馬台国で三年間を過ごしたのだ。

海幸/山幸の物語は九州の別の民族の伝説であって、天孫族が自らの物語に吸収しただけという可能性もある。
海幸が隼人の祖先と書かれているのだから、隼人征服の物語だという先学もおられる。
これらの発想を否定するわけではないが、小論はなるべく『記紀』の記述を尊重する地層の上で行われているのでご了解いただきたい。

なお、高天原の所在はなお断定しないでおく。



天孫降臨1〜オホドファイナル7

天孫降臨2〜オホドファイナル8



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Posted by gadogadojp at 20:30│Comments(0)歴史
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