てぃーだブログ › *いつか無国籍人になりたい › 歴史 › 天孫降臨1:オホドファイナル7

2010年10月19日

天孫降臨1:オホドファイナル7

天孫降臨1:オホドファイナル7

  出雲大社:撮影2008

1)天孫降臨(天降り)とは何か

戦前の皇国史観、そして戦後の記紀神話の拒絶という、二つのタブーをくぐり抜けた現代。
自由に『記紀』をタネを含んだ神話として読むことのできる喜びを満喫しているこのシリーズ。(あ、私は戦後生まれです。)
次に話題にするのは、いわゆる天降り(あまくだり:ニニギによる天孫降臨以外も含む)のストーリーの整理と検証。

古墳時代の倭国政権の基本構造を知るためには、この問題は避けて通れないからだ。
しかし小文の前提はフィールドワークだから、
天降りの肝心な部分については、逆に独断による仮説を述べるにとどめたい。

前回私は、<東アジアは一衣帯水。しかし西の水の水位/水圧が高い。>と書いた。
文化・文明の流れは西が川上、東が川下。
沖縄/南島との関係でも同様の時代があったと考える。この場合は南が川上にあたる。
ただ、南島からの文化流入を九州経由だとすれば、畿内から見れば西からやってきたと言えるので、ここでは<東西>で書いていく。

注意点としては、日本列島の東は茫洋たる太平洋であること。
つまり西から受けた水圧の逃げ場がない。
だからここ日本列島は渡来文化の坩堝(るつぼ)と化すから、
質的な向上を果たしたり、ミックスされて独自の文化に発展したことも多いし、
時には西に向けてエネルギーが逆流して、
坩堝内のバランスを保ったこともあると考えている。

ヘーゲルの弁証法と、
ジュールのエネルギー保存法則の実験場みたいなものだ、日本列島は。

ただ、昨今の「グローバル化」と「情報化社会」とは、
日本人の持つこのような渡来文化に独自の処理を施すエネルギー(能力)を不要にしているのではないか。
日本が質の低いエネルギーの坩堝、いや汚水処理場になりつつあるから。

話題がそれた。


以上の認識から私は、
<天降り>とは朝鮮半島または沖縄から日本列島に向けての文化複合体の流入のことだと考えている。

時に侵攻と考えてもよい場面もあったが、そのニュアンスですべてを語ると危険だと思う。
たとえば鉄の稀少な地域に鉄作り技術を持った部族が渡来すれば、「侵攻」に似た力関係が生まれるだろうが、
しかし倭人はいつの間にかその技術をわがものとし、渡来部族とも婚姻し、融合していっただろうから。

日本列島には無数の部族が渡来したが、
『記紀神話』は要するに大王(おおきみ)一族の始祖の日本列島伝来説話だとすっぱり割り切ることが必要だ。
その大王一族が自らの祖先の地であるとして神格化した土地が高天原である。
その高天原(たかあまのはら)は朝鮮半島または沖縄である。
とここでは仮定断言しておく。

高天原が具体的にどこにあったのかという場所比定にまだ確信はないが、
そこが沖縄なら沖縄本島が有力だ。かつては平野があったとしてだが。
ただ、そのまた祖先の地は、台湾やフィリピン、インドシナ半島、またはインドネシア諸島かもしれない。近年の日本語起源研究の成果から、倭語が(北方からだけではなく)南島から伝来したという説が強化されていることが支えになる。

もちろん雲南も捨てがたい…が、
もう長い間、なるべく斬新な歴史論/文化論の書物は読まないようにしている。自分でアイデアを思いつく楽しみがなくなるからだ。でも若い日に読んだ中尾佐助氏、佐々木高明氏らの著作は、いま思い出すだけでも心躍る。だから、私たちの祖先が雲南からも渡来したなどと考えると、自分に淫してしまいそうで意識的に遠ざけている。
さて、また話がそれた。

朝鮮半島なら(便宜上なじみ深い六世紀頃の国名で挙げるが)百済の地が有力ではないか。
百済の王室はおそらく騎馬民族の出身だから、高句麗方向、そして満州/黒龍江方向がそのまた先祖の地ではないか。
その理由を書くのはこの小論の範囲を逸脱しすぎるので省略する。

民族的近似を重視するなら、加羅(加耶)で決まってしまう。それでも良い。倭人は朝鮮半島南部にも分布していたことは間違いないと実感しているからだ。
しかしそれなら天降りの概念をひねり出す必然はどこにあるのかという疑問が消えない。水平移動のままで良いだろう、と思う。


などと右往左往しながら高天原の所在をとりあえず<沖縄、朝鮮>の二本立てで考えておいて、
これからの考察の幅を確保しておきたい。

強引は承知で以上を大前提とし、
まずは『記紀』に書かれた天降り事業を整理する。
それは何波にも別れて日本列島に押し寄せているからだ。



天孫降臨1:オホドファイナル7

  近江比良山から下っていくとある坂道:撮影は2010.3


2)天降りの第一波:イザナキとイザナミ

両者の被葬地を『記』を元に書くと、
イザナミは「比婆之山(ひばのやま)」:出雲国と伯耆国の堺にある、と書かれている。
イザナキの「坐」(いま)す地は「淡海之多賀」:近江国多賀と見るのが無難だろう。

つまり、『記』はこの渡来神の死地は倭国だと言っている。これは、二人は生前に高天原に戻っていないこと、降臨が東への片道であったことを意味する。
また、出雲(伯耆)と近江という地に特別の(死とも直結する)イメージを抱いていることが暗に示される。

二人は「天つ神一同の仰せ」にしたがって、高天原から天降りし、淡路島から始まっていわゆる国産みを行う。
これはコロンブスによる新大陸「発見」と同じ構造の説話だろう。
イザナミの死後は、(『紀』の一書で菊理媛と出会った後!)イザナキ独りで子を産み、最後に重要な三柱の子をなす。
イザナキはそれぞれの子に広大な地の「所知」=統治を任す。
以下、その三柱の神について『記』に基づいて整理する。

天照大神(アマテラスオオミカミ)
この神は高天原を任される。つまり私の前提に立てば、朝鮮/沖縄に帰ったことになる。その後葦原中国に戻ってくることはないから、実はもともと高天原から一歩も出たことのない女王だった可能性が高い。
命名からもその後のエピソードからも。太陽神/昼の神のイメージが強いことは言うまでもない。
私の<邪馬台国沖縄説>に即して言えば、アマテラスはヒミコ(またはトヨ)かも知れず、ならばヒミコの意味は日(陽)の巫女だ。
そうなると高天原の所在は沖縄で決まりだが、断ずるのはまだ早い。
なお、この神だけに大神の称号がついているのは、もちろん『記紀』作成の命令者大王家の粗先神だからだ。


天孫降臨1:オホドファイナル7

  泉州の満月:妻の撮影

月読命(ツクヨミノミコト)
「夜之食国(よるのをすくに)」を任せられる。夜のことだと解釈されている。だとすると、この神も朝鮮/沖縄に帰り、夜の世界を任されたのだろうか。ただ、『紀』とは食い違いもあり、混乱が見られる。
アマテラスとのバランス神/二面神だろうか。
宇宙の現象すべてに二面性を見るヒンドゥーその他西からの発想が、かつて確実に倭国に渡来したと思われるが、
この列島の坩堝の中にそれはあわあわと溶け込んだような印象がある。
四季があるがその境界は明瞭でない風土、光と影の区別が難しい風土の中に。
ツクヨミ信仰はそれゆえ浸透しなかったのだろう。
(あるいは沖縄や朝鮮半島までなら生き残ったかもしれない。)
この神を祭神としている神社は極端に少ない。
ただ、いまもわれわれ倭人の末裔が保っている月見の風習は、何も中国伝来の祭事だと決めつけることはあるまいと感じる。

なおツクヨミには、『魏志倭人伝』に見る、卑弥呼の男弟のイメージが投影されている可能性はなお残っている。


須佐之男命(スサノヲノミコト)
「海原(うなはら)」を任された末っ子。しかし彼はこのイザナキの言いつけに従わず、泣きわめいて「妣(亡母)の住む根の堅州国(ねのかたすくに)に参りたい」とダダをこねたため、父神によって「葦原中国」=地上の国から追い払われたのはよく知られた話である。
その後高天原に<天上り>し、続いて<天降り>し、最後には念願の「根の堅州国」にたどりついたという。
スサノヲは、天降りの第二波の主人公である。



以上の三神のエピソードからわかることがいくつかある。

a.まず、昼、夜、海の三つの世界が別々に存在している。

b.したがって、イザナミの黄泉国はまたそれらとは別次元であり、葦原中国とセットになっているという前回の論考でよさそうだ。黄泉国が葦原中国とバランスをとるための現世の世界(二面性の確保)であるとすれば、「根の堅州国」こそが死の世界なのかもしれない。しかしこれには疑問もあるので、eで再度検討する。

c.私説での天降りは水平移動なのだが、これらの説話では、<天降り>という用語以上にやはり垂直移動のベクトルが感じられる。水平と垂直の混在、または転換の秘密をときほぐす作業が必要なのだが、私にはまだこれは手に負えない難題だ。

d.スサノヲのいう妣(はは=亡母)は、(『記』では)イザナミではありえない。すでに死んでいるし、イザナミの世界は黄泉国だから。すると、この妣は誰だ。私はスサノヲの生母が菊理媛だというアイデアから離れられない。

e.やはり「根の堅州国」の所在または性格が問題になる。「海原」統治を拒んででもスサノヲが行きたいのはここだ。とすれば、昼、夜、海と同次元で、もう一つ別の世界が想定されているとも考えられるが、葦原中国とは別の現実の陸地を指している可能性も捨てきれない。だとすると、スサノヲ自体の世界観が別次元の混在を許していることになる。ここは現実世界なのだろうか。それはどこだろうか。
「海原」という不安定な世界と対比して「堅州」と言うのならば、三角州ではあるが地盤がしっかりしていそうな鴨緑江河口付近の平野などどうだろう。清川江でもいい。共に現在は朝鮮民主主義人民共和国の領土であり、元は高句麗(コクリ/コクリョ)の領土であった。菊理媛(ククリ、キクリヒメ)の故郷としてはまことにふさわしい。

f.『記』によれば、スサノヲはのちに念願の「根の堅州国」に行く。そこに大国主命が赴き、紆余曲折の末その地を脱出するとき、再び「黄泉比良坂(よみのひらさか)」が登場する、先に「黄泉国」と「根の堅州国」とは違う世界だ、とする小学館版「古事記」の注釈者に同意した記述をしたが、こういうところは『記』にも混乱が見られる。が、これらすべての混在あるいは混乱はここではまだ放置しておく。

g.肝心の「葦原中国」を任す神が、後のスサノヲ以外には見当たらない。大量に産んだこれまでの諸神にとりあえず任せているということか。イザナキはまもなく近江の多賀に葬られるから、天孫降臨の作業はまだ緒についたばかりで放置されたともいえる。スサノヲの降臨の予感が、これらの空白を無視できるものにしているのかもしれない。イザナキ/イザナミは完全な創作で、けっきょくは、日本列島への初めての天降りはスサノヲだったのかもしれない。その「壮挙」にふさわしく、『記紀』に描かれるスサノヲのエネルギーは猛烈な台風のようだ。


天孫降臨1:オホドファイナル7

  出雲の海:遠くに見える半島の先近くに出雲大社:撮影2008


2)天降り第二波:スサノヲノミコト(須佐之男命)

イザナキによって葦原中国(あしはらなかつくに)から放逐されたスサノヲは、亡母のいる世界「根の堅州国」に行く前に姉に挨拶?を、と高天原に上った。
高天原においての彼の乱暴狼藉と、これを畏れたアマテラスが天の石屋(いわや)に隠れたため、高天原のみならず葦原中国まで闇に包まれてしまったエピソードはよく知られている。
それにしても、スサノヲのだだっこぶりは度を超している。
母との別れはかなり無理筋のいきさつだったのかもしれない。
そしてその破壊力は、他の神とはケタ違いである。

やがて高天原からも「神やらひ」で放り出されたスサノヲは、「出雲国の肥(ひ)の河の上流、鳥髪(とりかみ)」という地に天降った。
「日本古典文学全集『古事記』」の脚注によれば、『出雲国風土記』に伯耆と出雲の国堺に鳥上山があるそうだ。現在の島根県横田町大呂付近が有力だとも。

思えばイザナミの埋葬地もこの近辺だと思われる。高天原の神々にとって出雲は格別の思いまたは因縁のある地域であることが、ここでも推測できる。(念のために記すが、スサノヲは『紀』の記述においてはイザナミ/イザナギの子である。小文は『記』を基準にしている。)

ただし、重要な心覚えを簡単に記しておきたい。
『記紀』に前後して書かれた『出雲国風土記』では、スサノヲの影は薄いということだ。
出雲の古神にスサノヲを登場させたのは、ヤマトの顔を立てただけだといわんばかりの、断片的な登場に終始する。
スサノヲの子という神々は多数紹介されるものの、スサノヲ本人には『記紀』の持つあのエネルギーが感じられない。穏やかな農業神の貌だ。
それは、ヤマト王権の手になる『記紀』編纂にあたって出雲の取り扱いに大きな脚色が行われた可能性が高いということだ。
また、逆に言えば、出雲(おそらく常陸も)は、いまだにヤマトによる神話的世界の干渉や圧力を快しとしない矜持を保っていたともいえる。
だからこのあたりは油断できない部分だ。ここでは私も言葉を選んで慎重でいたい。
地名比定の些事にこだわっていても成果があがらず、間違った方向に誘導される。

そういう点に留意しながら、大局的にスサノヲの天降りをさらに追う。


スサノヲがどこから来たか。葦原中国にどこから来たか。
『記紀』上はもちろん直接には高天原(たかあまのはら)から下ってきたのだ。

高天原での記述から想起されるスサノヲの振る舞いは、どう考えても侵略者のそれである。
そしてついに高天原から追いやられたスサノヲは、いきなり出雲に天降りする。
侵略を阻止されたスサノヲは、それでは今度も出雲に侵略者として立ち現れたのか。
天降り直後に語られるエピソードは、有名な「八俣遠呂知」の征伐談であるが、『記』の中ではそれだけが出雲におけるスサノヲの全所業であると言っても過言ではない。
正確には、ヤマタノオロチを征伐して、「須賀」の地に宮をつくり、クシナダヒメを娶り、他のヒメとも交わって多数の子を産んだ、と書かれてあるだけだ。
地元民のために一肌脱いで、その地に(いったん)住み着いた行きずりの旅人の姿だ。
抜け忍のカムイがスガルの島でしばらく身を隠した…
木枯紋次郎がゴロツキを成敗した後、ふとした気の迷いで地元娘と仲良くなり、しばらく逗留した…

まして前掲の『出雲国風土記』では、ヤマタノオロチ退治事件すら書かれておらず、淡々と数カ所に姿を現しているだけ。
とすれば、
「葦原中国」におけるスサノヲは、意外にもその残した足跡の少ない神であるといえる。

これらのことはわたしたちに何を語っているのか。
私はここへきて途方に暮れている。
スサノヲはほんとうに天降ったのか。
天降ったとして、どこで何をしたのか。
次世代の大国主神(オオクニヌシノカミ)との接点を作るためにねつ造されたのではないのか。
しかしこの神の猛烈なエネルギーは、逆説的だが、とても空想の産物とは思えない。
この小論の性格上からも、できるだけ空想だと片付けたくない。


天孫降臨1:オホドファイナル7

















『出雲国風土記』がスサノヲを無視したいのなら、それならやはりスサノヲは出雲にとって外来者なのだろう。
そして出雲にとって外来者ならば、
弥生の倭国全体からも外来者だろう。
のちに天孫降臨を果たす大王一族と同じ立場の可能性が高い。
ならば仕方ない。
息子オオアナムジ(大国主神)との関わりに少しは話を進めざるを得ない。
彼は出雲の王者だから。



天孫降臨2〜オホドファイナル8
天孫降臨3〜オホドファイナル9



同じカテゴリー(歴史)の記事

Posted by gadogadojp at 20:30│Comments(0)歴史
※このブログではブログの持ち主が承認した後、コメントが反映される設定です。
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。