2010年10月24日
天孫降臨2:オホドファイナル8
伯耆大山:出雲の東隣 2008撮影
1)オオアナムジ(大国主神)とスサノヲ
前回書いたように私は、
スサノヲとオオアナムジ(大穴牟遅=大国主)の関わりに話を進めざるを得ない。
ただしごく短く。巨大な大国主は手に余る。
両者のプロフィールを簡単に整理する。
スサノヲは天降(あまくだ)りの神である。ただし、その出生の地は葦原中国(あしはらなかつくに)〜つまり出雲国と同じ領域だ。高天原(たかあまはら)という名の、父イザナミの故郷、姉アマテラスの住まいする世界に立ち寄った(侵略した)あげく追い払われたのだ。これをもって彼を天津神(あまつかみ)とは言うのは難しい。
いっぽうオオアナムジは国津神(くにつかみ)、つまり土着神の代表選手。もともと葦原中国の統治者だと思われる。
まもなく天降ってくる高天原のタケミカヅチ(建御雷神:後述)とアメノトリフネ(天鳥船神)に「国ゆずり」をした神だ。
そして、『記』によれば、後者は前者の六世の孫。『紀』によれば息子。
さてこれはどうしたものだろう、どちらにしても血縁だ。
国津神の先祖が天孫族?しかしスサノヲは天孫族?
ここはこう考えておくとわかりやすい。
私説では、高天原は現実の土地〜朝鮮か沖縄なのだから、
スサノヲは倭国から一旦朝鮮/沖縄に渡った。権力奪取をめざして。しかしこれに失敗して倭国に戻った。
倭国の出雲地方でヤマタノオロチを退治したのち土着して子をなした。弥生時代のことだ。
事実はともあれ、少なくともそういう伝承が受け継がれていたのだ、出雲には。
弥生時代の倭国は『漢書地理志』に見るように「百余国」に分かれていたが、
しだいにそれを取りまとめていった地域政権があった。それが出雲だ。
その出雲の首長がスサノヲの子孫たちだ。
彼らは代々、その支配地を拡大していった。
その英雄潭をまとめて大国主というのだ。だから大国主にはたくさんの名前がある。
出雲の人々も、スサノヲの存在自体を否定していなかったのだ。
しかし真の英雄は大国主たちであり、
伝承上、高天原と関係があるスサノヲとの血縁を、天津神による倭国全土の支配の正当化と結びつけようとするヤマトに、
『風土記』で抵抗を示したのだ。
このようなところでどうだろう。
お気づきの通り、ここまでのところ、これに類する推理推測は、先学たちが山ほどの考察実績をあげておられる、ごく一般的な考え方だ。
次章で、これに私見を加える。
こちらは三瓶山:出雲の西隣:2008撮影:出雲には目立つ山がない。東西を大山と三瓶山に挟まれた(守られた)地域のように私には見える
2)ふたたびスサノヲ
『記紀』伝承は史実だった(かもしれない)という前提で続けている小文だが、
少しばかり節を曲げる。
スサノヲがイザナミとイザナキ夫婦の子である(『紀』)ことにやはり不自然さを感じる。
スサノヲはその夫婦の国産み、神産みの世界観の中で一人浮いている。
疑いなくこの夫婦の子であるアマテラスの秩序にも沿っていない。
先に述べたように、この神はイザナキ(または彼に象徴される高天原の住人)と高句麗の菊理媛との間に産まれた子ではないかと思う。
高天原はやはり朝鮮半島なのか。
その可能性が濃くなってきたが、まだ断定しない。
結論として、スサノヲは西から出雲への渡来人なのだが、
しかし高天原の正統ではない。異端なのだ。
正統は異端なしでは成立しない。
正統が集う高天原でようやくスサノヲは爆発的な破壊力を発揮できる。
高天原の諸神にたった一人で対峙できるパワーがなくては異端として存在できない。
ところが出雲に戻れば、その統治者スサノヲは自動的に正統になる。
揺るぎない正統者は、じたばたせずに穏やかに領土を巡視する。
さて
この章の最後に冷めた発言をしておく。
スサノヲが現実の存在かどうか、もちろん私にはわからない。
現実の存在だったとしても、高天原を侵略したのが事実か、あるいは出雲に土着したかどうか、わかるはずがない。
けれど、
高天原の同族の子孫が、とはいえ正統ではなく異端者だが、葦原中国の支配者大国主の先祖(または父)であるという伝説を採用、またはねつ造せざるを得なかったその後のヤマト、あるいは持統天皇や藤原不比等ら藤原京の人々の事情がぼんやりと見えてくるところが実に興味深い。
そのあたりをいずれ考察していく機会があればいいと思うが、オホドファイナルで必要かどうかはまだわからない。
根の堅州国におけるスサノヲのすさまじい姿にも触れて、彼の正体に迫りたいが広がりすぎる。天降り神スサノヲへの考察はこれで終了する。
三輪山(みわやま)の大神(おおみわ)神社
3)天降りの第三波:大国主をめがけて神々の雨霰
オオアナムジはここでは歴代の複数の王の総称として大国主と呼ぶ。
大国主のもとには、異世界、異国から複数の神が現れ、助力する。
その一柱がガガイモの船に乗った魅力的な小さな神スクナビコナ(少名毘古那神)である。この神は、『記』によると高天原のカムムスビ(神産巣日神)の子であるというから天降り神として説明されるのだが、しかし明らかに大国主への助力者、共同経営者として立ち現れるので、ここではこれ以上追究しない。あるいは、代々の大国主が治めるいずれかの時代に、西方(朝鮮/沖縄)との蜜月期があったのかもしれない。
もう一柱は、やはり海から来た神、海面を光らせながらやってきた神であり、大国主はこの神を、その願い通り大和の御諸山(みもろのやま=三輪山)に祀った。ここではこの神の名は示されず、『記紀』上ではこの後大国主と一体化したかのように存在し続け、後のヤマト王権の運命をも左右する存在感(「崇神紀」)を放ち続ける。ここでは後の呼び名を採用しオオミワノオオカミ(意富美和之大神)と読んでおく。ただしこの神は、海を渡ってきたものの、高天原の天降り神ではない。
三輪山は、後で必ず触れなければならない重要地点であるから、このオオミワノオオカミは小文でも重要な神となる。
ここでわかることは、この神が渡来した時点で、出雲の政権は大和まで勢力範囲におさめていたということだ。
さて、高天原に舞台を移す。
アマテラスは「この国(倭国)は、わが子アメノオシホミミノミコトが統治すべき国だ」と言って、我が子を天降りさせようとするが、この坊やは「いたくさやぎて有りなり」、つまり騒がしすぎると言って途中で引き返す。
大国主/出雲が統括していたと思われるこの時期の倭国の様子を高天原から見れば「荒ぶる国つ神が大勢いる」から、オシホミミが赴くには早すぎる、というのだ。
私は前回、アマテラスはもともと高天原から一歩も出たことのない女王だった可能性が高い、と書いた。
記紀神話上は、イザナミ/イザナキが産んだこの倭国で産まれたアマテラスなのだから、
原理的にはアマテラス(とその子孫)が統治すべき土地なのだが、
高天原の異端者スサノヲが天降り?して後の倭国では、大国主一派の元気がよすぎて、
とてもまだ高天原の王子がすぐに治めることができる状態ではないというのだ。
こう考えると、
イザナミ/イザナキ神話の意義がきわめて明瞭になる。
高天原の人々が渡来し統治して樹立した後のヤマト政権の、
その支配の正当性を倭人に強力に浸透させるためには、
その先祖神イザナミ/イザナキ(そしてアマテラス)と倭国との深いつながりを示す神話がどうしても必要だったのだ。
この国産み神話が(少なくとも倭国においては)虚構であったことが、完全に明らかになったと考える。
つまり、倭国に進出したいと願う西方高天原の人々は、まだその決行は時期尚早と判断した。
そこで、根回し役、地ならし役の神が派遣される。
その命令権者は、アマテラスとタカミムスヒである。
次に天降ったのはアメノホヒ(天菩比神)。ホヒという語感は、あまり上級の神とは思えないのだが、やはりこの神はすぐに大国主に「媚びついて」帰ってこない。
そこで次に高天原は、アメワカヒコ(天若日子)を派遣した。神という称号のつかないこの若者?は、天降りしたらすぐに大国主の娘シタデルヒメ(下照比売)を娶ってしまい、やはり戻ってこない。
出雲/大国主の人たらし、いや神たらしな存在感がこのあたりの説話で暗示される。
次に天降りしたのは神でもなく人ですら無い、雉(きじ)鳥のナキメ(鳴女)であった。
ナキメに期待されたのは、なぜアメワカヒコが帰らないのか、その理由を聞いて帰ってくることだったのだが、アメワカヒコはこの雉鳥を射殺す。
射殺したその矢は高天原まで届いたので、「返り矢」にあたって、アメワカヒコは死ぬ。
どうにも惨憺たる高天原側の劣勢が続く。
ただし、大国主側の圧勝が続いたのかと思うとそうでもない。
その後、興味深いエピソードが紹介される。
アメワカヒコの高天原の父と妻子は、アメワカヒコの死を悲しんで天降りし、喪屋(もや)を立てて八日八晩歌舞音曲と料理で葬儀を行ったと言うのだ。
エピソードは割愛するが、この葬儀にはアジシキノタカヒコというアメワカヒコそっくりな若者も天降りしている。
この頃の高天原と倭国との距離感は意外にも接近していることに驚く。
まるで戦時中の一時休戦の美談のようだ。
高天原勢力は、実は至近距離まで押し寄せてきていたのかも知れない。
だとすると、大国主にも、ある覚悟が芽生えていた可能性がある。
霞んでいるが、伊吹山中腹から見た琵琶湖。野洲川はもう少し左手。山に隠れて見えない。
万策尽きたのか、業を煮やしたのか、それとも機が熟したのか、
アマテラスが次に送り込んだ神は、パワフルな名を持つタケミカヅチノオノカミ(建御雷之男神)。その父はイツノオハバリノカミ(伊都之尾羽張神)といい、「天の安(やす)の河を水を塞き上げて他の神の進入を防いでいた神」と言うから、
大土木工事が可能な技術力や財力を有していると同時に、高天原の神々とは一線を画して存在している神一族に見える。ヤスという音からの連想で近江の豪族と考えてしまうとつまらないので、ここは朝鮮半島または沖縄の河だと考えて、半独立的に領土を持っていた異端の神に助力を求め、それなら息子を派遣するという了解を得たと考えておきたい。
ただし、後のニニギやカムヤマトイワレビコの東遷に際し、これに伴って倭国に侵攻した可能性は高いから、その後琵琶湖東岸に土着し、そこに流れる川を「ヤスの川、野洲川」と名付けたのかも、というくらいの想像は許されるのではないかと思う。
ところが、このことは本論では重要であって、
なぜなら古墳時代に、野洲川付近の地はオキナガ(息長)=沖縄〜邪馬台国の地出身の豪族の領地だったかもしれないと考えられるからだ。
思いがけぬところで、高天原の所在が沖縄方向に振れたが、これで断定できるはずも無い。
また、父神の名に「伊都」の文字が使われているところも忘れずにいようと思う。
とまれ、タケミカヅチは天降りした。アメノトリフネ(天鳥船神)を伴って、葦原中国へ。
天降った先は、出雲のイザサのヲハマ(小浜)である。これは出雲の稲佐浜だと考えられている。現在の出雲大社の目と鼻の先の浜辺だ。
高天原族の先鋒は、おそらくは圧倒的な軍事力で大国主に国ゆずりを迫った。
大国主は二人の子の意思を聞かねばならないと答えた。
一人の子ヤヘコトシロヌシ(八重言代主神)はおそらく神事担当。彼は国ゆずりを了解し、隠れた。奇妙な隠れ方には興味津々だが、ここでは触れない。
もう一人の子タケミナカタ(建御名方神)はおそらく軍事担当。彼はタケミカヅチに抵抗したが敗れ、ついには信濃の諏訪湖まで逃亡したがとらえられ、命乞いをして降伏した。
二人の子の顛末を見届けた父神たる大国主も恭順の意を示し、自分のこれからの住まいの建設(現出雲大社)だけを条件に、出雲から出ないことを約束した。
他の神々も、コトシロヌシの指示に従って天津神には背きますまいと告げた。
これで国ゆずりは完了する。
ドラマチックな国ゆずりについては、書きたいことが山積みだが、
すでに小論は神話伝承に時間を費やしすぎた。
結論だけを書いておく。
異端が異端を平定したのだ。
いや、高天原は、強力な異端を活用して、強力な異端の領土を奪ったのだ。
ただし大国主は、高天原から見れば異端でも、出雲では正統な統治者だ。
これをもって、出雲/倭国の正統な王、大国主の時代は消え去り、
その平定の「偉業」を実践した高天原の異端タケミカヅチは裏に退き、
高天原の正統、ニニギの天孫降臨の時代が始まる。
のだが…
出雲大社:2008撮影
天孫降臨3〜オホドファイナル9
天孫降臨1〜オホドファイナル7
Posted by gadogadojp at 17:00│Comments(0)
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