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2008年11月16日

向陽寮:いっしょうけんめい きょうまで生きてきたと!

「いっしょうけんめい 
 きょうまで生きてきたと!」


長崎県立養護施設「向陽寮」の元寮生たちの手記
鶴文乃 編
株式会社ファミネット刊行
(03ー326!ー2262 FAX03ー3261ー2263)
800円+税
※注文は上記FAXへ

向陽寮:いっしょうけんめい きょうまで生きてきたと!




国家が戦争を実行するということは、
兵員のみならず、民間人を犠牲にし、棄民を生むことと同じだ。
そして必ず、敵味方を問わず、子どもたちが路頭に迷う。


満州に開拓団を送り込んだ日本国政府と、ソ連の参戦の情報を聞いて真っ先に逃げ出した日本軍(関東軍他)は、
(判明しているだけで)数千人に及ぶ中国(満州)残留孤児に責任を負うが、
戦後の日本国が、長年この問題を「なかったこと」として取り扱ってきたことは、
今ではわたしたちみんなが知っている。

同じく1945年の3月10日、米軍による東京大空襲が実行された。
空っ風の吹く中での空襲は大火災を誘発し、10万人の犠牲者を出した上、100万人の家屋を失った人々を生んだ。
この惨事の直接責任は米国/米軍にあるが、こちら側の戦争主体としての日本国政府/軍の戦争行為の結果でもある。
控えめに言っても、国民を守れなかった責任がある。
ここで孤児となった子どもたちが何人いたのか、だれも調査ができていない。

それ以外にも各地に空襲があり、広島の被爆によって6500人が孤児となり、沖縄の地上戦でも数千人が親を失った。
外地から引き揚げて来た孤児も1万人を超す。

このように日本国民の内で孤児になったこどもたちはおそらく20万人を超えるが、
その正確な数とその後の人生は、いまだにだれにも全貌が把握できずにいる。
生き延びたこどもたちが何割いたのかも…

まして、日本国政府/軍の戦争行為によって侵攻された側の中国その他のアジア諸国における、こどもの犠牲者や孤児の数がいったい何十万人にのぼったのか、それは想像を絶する。

国家全体で戦争を始めたのだから、国家の存続のためには民間人の犠牲もやむを得ないと発言する人はいるが、
その人々の戦争観に、
老若男女の民間人が炎に包まれて焼け死んでいく図や、生き残った後も路頭に迷い、わずかな食料をめぐって争う孤児の姿が見えているようには思えない。

まして、他国人の孤児の姿など、その脳内のどこにも見つけられないだろう。



私はどうか。
私が1945年にすでに成人していたとして、
戦後の混乱と貧窮の中で生きていたとして、
街にあふれる孤児たちの生命と生活に、
私が助力できたとは思えない。
いや、
孤児たちの存在をじゃまだとすら思ったかもしれない。


しかし、
米国人篤志家が孤児を助けた話は各地に残るが、
日本の民間団体も地方自治体も養護施設を設けた。
不幸なこどもたちの全体数にははるかに及ばぬにせよ、
孤児たち、あるいは、親とともに暮らせないこどもたちを、
懸命に支えて巣立たせていった人々もそこにはいた。

この本は、
そうしたこどもたちが、大人になり初老と言える年齢に達したいま、
その施設の一つ「向陽寮」で過ごした日々と、
その後の人生を書き記した手記で構成されている貴重な記録だが、
同時に、そのこどもたちを一心不乱に支えた故「餅田千代」さんの間接的な記録でもある。

さらに、
その寮と同じ学区に育ったという縁で、
このような手記を企画し、出版にまでこぎつけた、
編者「鶴文乃」さんの航跡でもある。

類書を読まれた方はともかく、
まだ接していないかたには、ぜひ一読をおすすめしたい。
元寮生のことばに「向陽寮は天国だった」とある。
淡々とした手記の向こう側に見えるあらゆるものが、わたしたちにはたぶん貴重だから。



向陽寮:いっしょうけんめい きょうまで生きてきたと!

「誰も来んたい(誰も来ない)」と、誰かの一言。
その一言で切ない期待は消え去り、後に残る空虚な気持ちがわきあがり、みな堰を切ったように涙が溢れた。その悲しみの涙は誰にも止められず、子どもたちは思い切り泣き、新しく生活を始める岩屋の地(向陽寮)は、幼い子どもたちの涙で濡れたことだった。

〜本書内、Y・Kさんの手記より



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Posted by gadogadojp at 22:30│Comments(9)書評
この記事へのコメント
空襲に関しての責任は国にもありますが、戦争をした日本よりもっと憎まなければならないのは米国。
現代の日本人は米国より日本が戦争したことを批判したがりますが、日本政府の戦争を国民も支持していたのですから、当時の日本人自身を非難することでもあります。
日本人自体にも責任はありますが、もっと攻められるべきは米国。
その米国の(イラク)戦争を支持している日本人は、戦争孤児を作っている米国を助けていることにもなるんですよね・・・。
Posted by ユウヒ at 2008年11月20日 22:41
<戦争をした日本よりもっと憎まなければならないのは米国。>
〜私は米国政府も日本政府も憎まないでいたいと願っています。感情的にならず、論理で責任を追究し、批判していきたいと思います。でもなかなかそうはうまく自分の感情をコントロールできていません。そこで敢えて感情的な物言いをすれば、「私はアメリカという国(政府)は嫌い」です。それを話し出すといくらでも書くことがあります。けれど、先の大戦に限って言えば、朝鮮や台湾や中国やアメリカに対して、先に武力行使したのは日本国です。これはまぎれも無い悲しい事実です。大空襲に至る戦争を始めたのは私の日本国でした。


<当時の日本人自身を非難することでもあります。>
〜批判と非難は、私には違う次元の用語です。でもそれはこの際置くとして、日本国政府の侵略行動にストップをかけられなかった日本人は、もちろん批判されるべきだと考えています。すべてを政府(政治家や軍、財閥、天皇)の責任にするような態度は無責任だと思いますから。ただ、当時の言論圧殺状態のもと、現実的にどのような反対手段があったかを考えると、国民が一番悪い的な考えには無理があります。
今日は幸い国民主権が建前です。ですから、私は、我が政府の行動に納得がいかない場合はNOと声をあげています。それが日本人の責任だと思うからです。

<その米国の(イラク)戦争を支持している日本人は、戦争孤児を作っている米国を助けていることにもなるんですよね・・・。>
〜その通りだと思います。ただ、どれだけの日本人が、イラク戦争自体を支持しているかは霧の中ですが。
Posted by gadogadojpgadogadojp at 2008年11月24日 15:09
批判に統一しますね。

戦争について語るときは感情と論理が混ざってしまうこともよくあるのではないでしょうか。
分けることは難しいです。
すいません。憎むというより批判ですね。
戦後生まれの人間はアメリカを憎むというより、あの蛮行を批判する姿勢が必要だと思います。

<先の大戦に限って言えば、朝鮮や台湾や中国やアメリカに対して、先に武力行使したのは日本国です。>

WW2で朝鮮や台湾に武力行使したのですか?
アメリカについては、日本を戦争に追い込んでいきましたから先に武力行使したことは、そう責められるものではないと思います。
さらに中国大陸で事実上戦火を交えていたからその時にすでに引き金は引かれていたのではないでしょうか。

国民が一番悪いとは思いませんし、同じく政府のみに責任を押し付けるのも良くないと思います。ただ、日中戦争にしても太平洋戦争にしても日本人のみを批判するのではなく、やはりあの当時の世界がどれほど難しいものだったかを考えると、政治家も軍部もいっぱいいっぱいだったのだと感情的には同情もします。

<どれだけの日本人が、イラク戦争自体を支持しているかは霧の中ですが。>

イラク戦争については何も考えていない人が多いと思います。太平洋戦争や日中戦争の反省ばかりするのではなく、イラク戦争にも向き合ってみることは日本人にとって大切だと思います。

長文失礼しました。
Posted by ユウヒ at 2008年11月26日 21:17
気づかず遅くなりました。ごめんなさい。

<先の大戦>…ほんとですね、間違ってます。<先の戦争>のつもりでした。訂正します。とはいえ、遡るとこれすら正確ではありません。朝鮮においては1894東学党の乱への出兵、台湾においては下関条約締結直後の征服戦争から一連の流れだったともいえますし。

「あの当時の世界がどれほど難しいものだったかを考えると」
貧困に耐え、植民地を持たず、侵略せずという道を選んだ国家がほとんどであったあの時代に、その逆の道を選んだのは他ならぬ日本国だったと私は考えています。

不十分ですが、とりあえずこんなところで。
Posted by gadogadojpgadogadojp at 2008年12月14日 12:43
貧困に耐え、植民地を持たず、侵略せずという道を選んだ国家がほとんどであったあの時代に、その逆の道を選んだのは他ならぬ日本国だったと私は考えています。

この文は韓国、台湾の併合も含む戦前の一連の流れを批判しているのでしょうか?
gadogadojpさんはあの時代に日本にどうしろと言うのでしょうか。
植民地になれと言うのでしょうか。
貧困に耐えて植民地も持たずに、
欧米に侵略されない道を選べということですか。
それともそういう道を選んだのは仕方ないけど道義的には良くなかったということですか。
これなら分かるのですが。

選んだと言いますが、選べなかったとも言えますよね。他の国は。

朝鮮と台湾を植民地にしたこともあの時代背景を考えれば、朝鮮と台湾にとってもベストの道だったと思うのですかいかがでしょうか。
Posted by ユウヒ at 2008年12月17日 18:04
ユウヒさん、もちろんです!
あの時代の日本国の行為は過ちだったと私は一貫して信じ、何十年もそれを訴え、二度とその道を日本国がたどらないように微力を尽くすことが私のライフワークの一つだと決めていますから。

子どもの頃から西欧文明に肌が合わず、知人や親戚から「国粋主義者」とか「右翼」とかからかわれていた私は、その大好きな日本の人々のつましくも美しい暮らしぶりや文化、300万人を超す命すら奪ったあの戦争を憎み、その原因を考え続けてきました。
結論は「日本国(権力)はその伝統的価値観を捨て、背伸びをした」、その一文に尽きます。
二千年も前から「先生」であった中国や朝鮮の文化への敬意を忘れ、西欧諸国の価値観を導入し、アジアの覇者=アジアで一番のカネモチになろうとした結果があの悲劇だったと考えています。植民地化される恐れが最優先されたとは考えておりません。

戦後の中国や南北朝鮮の政府権力が、自らの政権の正当性を高めるために、国民に反日教育を行ってきました。それと同じことを戦前の日本国はすでに行い、侵略を正当化しました。

現代の価値観で過去を断罪してはならないことは十分承知です。
しかし私たちにとって、戦前は過去ではなく、現在もまだその傷をひきずる「現代前期」なのだと考えています。少なくとも、戦争体験者はまだ多数が存命しておられますから。旧植民地や戦争被害の傷跡は、世界の各地で構造的な問題を解決できていませんから。

朝鮮が、たとえばロシアの植民地になった可能性はじゅうぶんあり得たでしょう。その場合、朝鮮の伝統的文化はきっと踏みにじられたでしょう。あるいは日本の植民地になったほうが傷が浅くて済んだのかもしれません。
しかし、人類の歴史にとって、植民地支配は現代前期の犯罪であり、戦争はその悲劇であったと考える私には、自分の少年期の過ちを直視する大人のような姿勢を保ち、尊敬される自分、文化に敬意を払われる日本人になりたいと切に願っています。
Posted by gadogadojpgadogadojp at 2008年12月20日 15:07
う~ん、よく分からないです。
具体的にどうして欲しかったのか。
欧米文化を取り入れず、日本の伝統的文化を保持したまま、侵略されるのを待っているのがよかったのでしょうか。
植民地化される恐れが最優先されたからこそ日本はロシアと戦い、その結果帝国主義時代の終焉に良い影響を及ぼしたのだと思います。
しかし gadogadojpさんも西洋文明の影響を受けて育ち、今こうやって西洋文明(インターネット)を使っているのですから、ある
意味今のご自分を否定しているような所がありますよね。

日本が本当に伝統的価値観を捨てたのは、私は戦後だと思います。
伝統的なモノを捨てていく態度は、今も続いていると思うのです。
戦前戦中はまだ日本人の伝統的な高潔さが残っていたと思います。
そういう意味では、戦争はせずとも日本人はずっと「過ち」を辿ってきて、今もその道を邁進しているのだと思いますが。
Posted by ユウヒ at 2008年12月21日 21:53
ユウヒさん、
う〜ん、困りましたね。おっしゃる疑問に対してはもう回答済みのつもりですし、私は私の考えのすべてをここに書く余裕も力もありません。この話の流れの上では、上のレスがほとんど決定版です。
それでもなお書き加えますが、この先はかえって誤解が生まれそうですので、ここで打ち止めにさせていただきます。

では、屋上にさらに屋を。

私は、日本国は植民地化をおそれて海外侵略したのではなく、人のモノを奪ってカネモチになることで強くなり、結果的に侵略されない国家づくりをしようとしたと考えているのです。自ら「帝国」と名乗ったのはダテではなく、領土ぶんどり仲間入り宣言です。
百歩ゆずってたとえ防衛が主眼であったとしても、自分の力で守ろうとするのと、他人を踏み台や盾にして自分を守ろうとするのは決定的に違うだろう、と考えているのです。
そして、その防衛の対象とは、第一に国体と産業であって、国民の生命ではなかったと述べています。でなければ、これだけの死者は出しません。

どうすればよかった?
もちろん、たとえ侵略されても(その可能性は非常に低かったと見ていますが)しかたないのです。自分の身を守るためにひと様(しかも恩師)の田んぼに手を出すようなことは、恥ずかしすぎる行動だったと言っているのです。まして日本はそのひと様をその人の田で殺しています。
こんな書き方をしたくないから、行間に含ませています。察してください。

戦前の日本の行為は(まだ生まれていない)私の行為でもあります。
自らの少年時代の非行を素直に謝れる人間でいたいと思っているのです。

なお、日本文化についてはまったくの誤解です。私は日本文化至上主義者ではありません。福沢諭吉らの「脱亜入欧」の志向が、権力の思想的支柱になったことを批判しているのです。
Posted by gadogadojpgadogadojp at 2008年12月22日 00:38
打ち止めとのことですが、一応私の考えも書いておきたいと考えましたので書かせていただきます。

私は、日本国は植民地化をおそれて海外侵略したのではなく、人のモノを奪ってカネモチになることで強くなり、結果的に侵略されない国家づくりをしようとしたと考えているのです。自ら「帝国」と名乗ったのはダテではなく、領土ぶんどり仲間入り宣言です。

ここは認識の違いとも言うべきものですが、
私は植民地になることを恐れて、富国強兵の道を歩み、朝鮮防衛の為に清やロシアと戦って、“結果的に”台湾の領土、満洲の権益を手に入れたのだと考えています。それにカネモチにならずして侵略に対抗できる国ができるとは思いません。
「帝国」の名称は皇帝の治める国という意味で「皇国」と同じような意味だと私は思っているのですが、どうもこの「帝国」という言葉は複数の意味があって分かりにくい言葉です。

自分の力で守ろうとするのと、他人を踏み台や盾にして自分を守ろうとするのは決定的に違うだろう、と考えているのです。
防衛の対象とは、第一に国体と産業であって、国民の生命ではなかったと述べています。

もちろん外国に出兵せずに自分を守れればそれが理想なのですが、それができなかったのだと思いますよ。
西郷隆盛はああいう状況の中でもなるべく道義を通そうとしていたと思います。
防衛の対象については今との価値観の違いもありますが、国民の生命が対象でなかったわけでもないと思いますよ。
太平洋戦争が始まってからは、国民の生命は軽視されていたのだと思いますが。

もちろん、たとえ侵略されても(その可能性は非常に低かったと見ていますが)しかたないのです。
>非常に低いとは思えませんが・・・・・・。
侵略の可能性にしても、朝鮮半島の重要性にしてもやはり本当の危機感が分かるのは当時の人だけなんだろうと思います。
私を含めて後世の人にはリアルな感覚は感じられないでしょう。

自分の身を守るためにひと様(しかも恩師)の田んぼに手を出すようなことは、恥ずかしすぎる行動だったと言っているのです。
>これは完全に主観の問題ですから、噛み合いませんね。私は日本がひと様の田んぼに手を出したことが、必ずしも田んぼの人達にとって悪いことだったとも思いませんし、他のアジアの国々にとってもプラスとなった部分があったから全否定しません。その違いだと思います。
日本統治に歯向かったことや戦争に巻き込まれて亡くなった人がたくさんいたことは遺憾です。しかしそのことであの時代をただの「非行」にしようとも私は思わないのです。

以上です。
Posted by ユウヒ at 2008年12月24日 00:57
 
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