2016年07月23日
日本国憲法の肝はどこにあるのか

日本国憲法は
前文と百三にのぼる条文とで構成されています。
前文は憲法成立の背景、趣旨、精神を描写し確定させたものですからもちろん重要です。
では条文の中でもっとも重要、いえ肝(きも)となる条文はどれでしょうか。
議論の焦点になるのはいつも第九条です。
この条文が大切なことは言うまでもありませんが、
それ以上に大切な、肝になる条文があるとわたしは考えているのです。
2006年5月31日付で、わたしは高校生に向けて下に掲げた文を書きました。
けっこう密度が濃いのですが、ゆっくり吟味しながらぜひ読んでください。
以下引用(一ヶ所だけ修整)
日本国憲法のあした
改憲の動きが活発な今日、憲法のあしたは微妙です。けれど微妙であるということは、私たちが考える余地も価値もあるということです。さあ、みなさんの出番です。
この憲法には、改憲のための条件が記されています。つまり、憲法自身、変わる覚悟はあったことになります。ただし、その方向は私たちに委ねられています。たとえば核兵器を保有することも可能ですし、天皇制を廃止することもできます。信仰の自由を禁止することもできますし、世界単一国家をめざすことも可能です。改めるとするならどこを変えるべきか、考えてみましょうか。
みなさんが知っている通り、この憲法は三つの原則で貫かれています(1)国民に主権がある(2)平和を追求する(戦争放棄)(3)人権を尊重する(自由と生存の保障)の三原則です。
この三原則を変更しますか。たとえば(1)主権は天皇にある (2)戦争を追求する(3)個人より国家が優先し、人権は無視する ・・過激ですか?
それでは、もう少し穏やかに(1)主権は国民にあるが、状況次第では権力者に移る(2)平和を追求するが、状況次第では戦争する(3)人権は尊重するが、状況次第では自由を制限する・・などと変えましょうか。中途半端ですか?
みなさん一人一人が、しっかり憲法を読み込み、自分の考えで、改めるべきところと守るべきところを検討していきませんか。文学に比べれば平易な文です。行間を読む必要がありません。私は、一億三千万人それぞれの自由な判断と活発な議論の結果であれば、憲法は変えて良いと思うのです。民衆が新しい国家を作ればいいのです。
核兵器を保有できる新憲法になったなら、そりゃあ私はとことん反対しますけど、みなさんの「自由に基づく総意」で決まったのなら、それが日本人が選び取った日本のあしたなのでしょうよ。でもしかし、
原則(3)、特に「思想と表現の自由」だけは、どんなに憲法を改めても絶対に変えてはならない、制限をつけてもいけない最後の砦なんだと考えます。なぜなら、ここが制限されてしまえば、「自由に基づく総意」がありえないことになるからです。人々が自分の力で考えなくなったり自由にものが言えなくなったりしたらなによりこわいよー、というこの日本国憲法のこの精神だけは守っていきたいな。

さて、この高校生へのアピールを貫くわたしの態度は十年たったいまも変わっていません。
その態度とは言うまでもなく、
A.(憲法を変えるなら)日本に住む人々すべてが自分で自由に考え真剣な議論した上であすの憲法を考えるべきだということ。
B.「思想と表現の自由」の原則を改変して侵した憲法は制定してはならないということ。
なぜなら、Bのように原則を変質させてしまえば、今後二度とAが不可能になるからです。
未来になっても憲法の改変や変更、修正を行うとき、かならず「思想と表現の自由」がなくてはならないからです。
たとえば第九条を変えて戦争ができる国をつくったとします。その結果、悲惨な結果になったとします。十年後の国民が「やはり第九条を復活させよう」と思い直したとしても、そのときに自由が失われていれば、もう元には戻せません。
いいかえれば、「不自由」が良いことだと認める「自由」な考え方などあってはならないということです。
つまり、<自由は一度きり。捨ててしまえばもう終わり。>
ということです。
このような重要な憲法の肝は、第何条に書かれているのでしょうか。
日本国憲法の第三章は「国民の権利及び義務」とくくられています。
間違いなくこの第三章に書かれているはずですので、さがしてみましょう。
第十条 日本国民たる要件は、法律でこれを定める。
いきなり興味深い条文です。国民とは日本国籍を持つもの、などと安易に決めてはいないところがいいですね。
ということは、この条文だけで判断する限り、天皇も国民である可能性があります。
だとすると、勤労や納税の義務があると同時に思想信条の自由もあってもよいはず。
何かと刺激的な条文ですが、これは肝ではありません。
第十一条 国民は、すべての基本的人権の享有を妨げられない。この憲法が国民に保障する基本的人権は、侵すことのできない永久の権利として、現在及び将来の国民に与へられる。
すぐに登場しました。これが肝の条文その1です。
「侵すことのできない永久の権利」ですから、日本国憲法は「基本的人権」を侵すような改変を許さないということになります。
それは極論だとおっしゃる方でも、この十一条がこの憲法の最重要条文の一つであることは否定できますまい。
これ以降も、十一条の言う「侵すことのできない永久の権利」に関する重要な条文が続きます。ですから、十一条だけを肝と呼んでも良いのですが、上記のわたしの<態度>の指針に沿って、中でも重要な条文を二つあげておきます。
第十九条 思想及び良心の自由は、これを侵してはならない。
第二十一条 集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。
もう一度繰り返しますが、思想や表現が不自由な状態で決めたあらゆる法律や憲法は無効です。
したがって、未来永劫、この条文を変えたり、制限を加えてはならないのです。
このことについては「公共の福祉に反しない限り」などという制限も課せられていません。お間違いなく。
というわけで、この第十九条と第二十一条が二つ目の肝です。
ただし、第十二条には、この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。と書かれてある通り、「濫用」しないように国民に訴えかけています。
日本国憲法はこういうのです。国家は国民の自由や権利に制限を加えてはならない、と立憲主義の立場からくぎを刺し、国民に対しては濫用してはいけないよとさとしているのです。ここもまた間違えてはならないところです。
なお、この第十二条の「国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。」という部分はわたしがいつも自分に言い聞かせている箇所ですので、蛇足ながら披露させてください。

さて、最後になります。
ここまでの文脈からははずれます。
しかし重要きわまる寄り道です。
発表されている自由民主党の改憲案のうち、
緊急事態条項と呼ばれる第99条を見てみましょう。
赤字はわたくしがほどこしています。
自民党案第九十九条
1
緊急事態の宣言が発せられたときは、
法律の定めるところにより、内閣は法律と同一の
効力を有する政令を制定することができるほか、
内閣総理大臣は財政上必要な支出その他の処分を行い、
地方自治体の長に対して必要な指示をすることができる。
自民党案第九十九条
3
緊急事態の宣言が発せられた場合には、何人も、法律の
定めるところにより、当該宣言に係る事態において国民の
生命、身体及び財産を守るために行われる措置に関して発
せられる国その他公の機関の指示に従わなければならない。
この場合においても、第十四条、第十八条、第十九条、
第二十一条その他の基本的人権に関する規定は、
最大限に尊重されなければならない。
さてあなたはこれをどういう意図のもとにどういう状況を想定して書かれたものだと考えますか。
1億3000万人がそれをどう判断するかで、日本のあしたが決まると思うのです。
この案は、国民の自由な思想や表現に真っ向から反逆しているとは見えませんか。
日本国憲法の肝を侵すものとは思いませんか。
Posted by gadogadojp at 00:20│Comments(0)
│評論・エッセイ
※このブログではブログの持ち主が承認した後、コメントが反映される設定です。