2013年03月29日
東京のサクラ〜2013
3月21日から四日間、ちょうど桜咲く東京に滞在しました。
桜は都内のあちこちで見られますし、
宿泊した神田のホテルの窓からも、
どこに植わっているともわからない木から風に乗ってひらりと桜花が舞い落ちる様子が見え、
東京は桜の季節であることを否が応でも知らされます。
中でも桜の美しい場所三カ所を訪れましたので、
少々レポートしておきたいと思います。
1)千鳥ヶ淵周辺
千鳥ヶ淵が桜の名所だとは知らず、
今回の東京行きの最中にお江戸生まれの妻から教わりました。
江戸時代から昭和まで、日本の権力の中枢でありその象徴でもあった江戸城(皇居)、
その濠(堀)端に植えられた桜の風景は水に映えて美しいだけでなく壮大です。
桜咲き乱れる風景のすぐ隣に靖国神社の大鳥居がのぞくところも、
いかにもある種の権威主義的ノスタルジアを感じさせる地域です。
上の写真のように、
田安門付近で皇居に向けて写真を撮ると、
いかにも伝統的な日本の美しい風景のような画像になりますが、
180度視点を変えてみると、
端麗なビルが濠の水面に映り込み、現代の東京もまた、桜を愛している様子に見えます。
西側の千鳥ヶ淵水上公園の桜並木は、『1898年(明治31)に当時の駐日英国公使アーネスト・サトーが植樹したのに始まる(Yahoo百科事典)』そうですが、
ここでも道路をはさんで反対側には近代的な建物が並んでいます。
桜は今ここに住む(働く)人々と共に在ります。
けれどその人々は、疑いなく裕福な人たちです。
皇居の濠を見下ろす住居に住むことをしない一般の日本人や中国系観光客は、
公園の緑道を歩いて桜をただ愛でます、
権威との一体感を楽しむ為ではなく。
ただ、おのずと節度を保ちながら。
緑道を進むと、やがてボート乗り場。
営業終了寸前の時間帯でしたので、ボート好きの私も乗り込みませんでしたが、
かけこみ客に「乗るの?乗らないの?乗るなら急いで」とせきたてる係員の口調が、
やや権高く感じられたのは、気のせいでしょうか。
とはいえ、ボートをつないで格納に向かう様子がおもしろく、
あたりの風景が一瞬、上の(加工した)写真の色調に見えた自分を興味深く感じました。
ふふ、おもちゃの国。
絵画のようなこの千鳥ヶ淵の桜の雄大な風景は、それは素晴らしいものでしたが、
私をここに連れて来てくれた妻は、あろうことか小さな風景を撮影し続けています。
上の写真はその一枚ですが、
ここ千鳥ヶ淵の写真の中で、私がもっとも好きな写真になったのは面白いですね。
丸に千鳥紋:濠の形が千鳥が羽を広げた様子に似ている、と濠の名の由来
2)上野公園の桜
科学博物館を見学してから池之端薮そばを食べに行く際、
上野公園を通り抜けました。
桜は見事に咲いておりましたが、何と一枚の写真も撮影しませんでした。
ここは桜を「鑑賞」する場ではなく、
桜とともに遊ぶ場だからでしょう。
その遊興空気に染まった私は、カメラを向ける気になりませんでした。
上野公園には節度などありません。(笑)
夜にはさらにとんでもない騒ぎになることを、以前来た私は知っています。
千鳥ヶ淵とは違う花見の楽しさがここにはあるのです。
浅草花やしきの桜:妻の撮影
3)神田川の桜(都電早稲田駅付近)
何十年ぶりかで早稲田大学を訪れ、
その変化や変化の無さを感じ取った帰り道、
ふと、都電の駅まで歩いてみる気になりました。
庶民の町を通り抜け、神田川も見たいと思いました。
すると、驚いたことに、神田川(旧江戸川)両岸には桜がずらりと咲き誇っています。
帰宅して調べると、旧江戸川は、明治末までは都内随一の桜の名所だったとあります。
それなら、この日見た光景はうなずけるのですけれど、
この付近をウロウロしていた昔々の五年間の人生で、
桜の開花を見た記憶が一切残っていません。
桜など目に留まらなかったあの頃よりも、
さりげない普通の町並みの先に咲く花を見て、
わ、きれい!と驚く今の私の過ごし方の方が、
数段上等の暮らしだと、強く思ったものでした。
桜の花を見るだけで、
自分の人生の変化がわかる…
いいもんですね、花見。
桜は都内のあちこちで見られますし、
宿泊した神田のホテルの窓からも、
どこに植わっているともわからない木から風に乗ってひらりと桜花が舞い落ちる様子が見え、
東京は桜の季節であることを否が応でも知らされます。
中でも桜の美しい場所三カ所を訪れましたので、
少々レポートしておきたいと思います。
1)千鳥ヶ淵周辺
千鳥ヶ淵が桜の名所だとは知らず、
今回の東京行きの最中にお江戸生まれの妻から教わりました。
江戸時代から昭和まで、日本の権力の中枢でありその象徴でもあった江戸城(皇居)、
その濠(堀)端に植えられた桜の風景は水に映えて美しいだけでなく壮大です。
桜咲き乱れる風景のすぐ隣に靖国神社の大鳥居がのぞくところも、
いかにもある種の権威主義的ノスタルジアを感じさせる地域です。
上の写真のように、
田安門付近で皇居に向けて写真を撮ると、
いかにも伝統的な日本の美しい風景のような画像になりますが、
180度視点を変えてみると、
端麗なビルが濠の水面に映り込み、現代の東京もまた、桜を愛している様子に見えます。
西側の千鳥ヶ淵水上公園の桜並木は、『1898年(明治31)に当時の駐日英国公使アーネスト・サトーが植樹したのに始まる(Yahoo百科事典)』そうですが、
ここでも道路をはさんで反対側には近代的な建物が並んでいます。
桜は今ここに住む(働く)人々と共に在ります。
けれどその人々は、疑いなく裕福な人たちです。
皇居の濠を見下ろす住居に住むことをしない一般の日本人や中国系観光客は、
公園の緑道を歩いて桜をただ愛でます、
権威との一体感を楽しむ為ではなく。
ただ、おのずと節度を保ちながら。
緑道を進むと、やがてボート乗り場。
営業終了寸前の時間帯でしたので、ボート好きの私も乗り込みませんでしたが、
かけこみ客に「乗るの?乗らないの?乗るなら急いで」とせきたてる係員の口調が、
やや権高く感じられたのは、気のせいでしょうか。
とはいえ、ボートをつないで格納に向かう様子がおもしろく、
あたりの風景が一瞬、上の(加工した)写真の色調に見えた自分を興味深く感じました。
ふふ、おもちゃの国。
絵画のようなこの千鳥ヶ淵の桜の雄大な風景は、それは素晴らしいものでしたが、
私をここに連れて来てくれた妻は、あろうことか小さな風景を撮影し続けています。
上の写真はその一枚ですが、
ここ千鳥ヶ淵の写真の中で、私がもっとも好きな写真になったのは面白いですね。
丸に千鳥紋:濠の形が千鳥が羽を広げた様子に似ている、と濠の名の由来
2)上野公園の桜
科学博物館を見学してから池之端薮そばを食べに行く際、
上野公園を通り抜けました。
桜は見事に咲いておりましたが、何と一枚の写真も撮影しませんでした。
ここは桜を「鑑賞」する場ではなく、
桜とともに遊ぶ場だからでしょう。
その遊興空気に染まった私は、カメラを向ける気になりませんでした。
上野公園には節度などありません。(笑)
夜にはさらにとんでもない騒ぎになることを、以前来た私は知っています。
千鳥ヶ淵とは違う花見の楽しさがここにはあるのです。
浅草花やしきの桜:妻の撮影
3)神田川の桜(都電早稲田駅付近)
何十年ぶりかで早稲田大学を訪れ、
その変化や変化の無さを感じ取った帰り道、
ふと、都電の駅まで歩いてみる気になりました。
庶民の町を通り抜け、神田川も見たいと思いました。
すると、驚いたことに、神田川(旧江戸川)両岸には桜がずらりと咲き誇っています。
帰宅して調べると、旧江戸川は、明治末までは都内随一の桜の名所だったとあります。
それなら、この日見た光景はうなずけるのですけれど、
この付近をウロウロしていた昔々の五年間の人生で、
桜の開花を見た記憶が一切残っていません。
桜など目に留まらなかったあの頃よりも、
さりげない普通の町並みの先に咲く花を見て、
わ、きれい!と驚く今の私の過ごし方の方が、
数段上等の暮らしだと、強く思ったものでした。
桜の花を見るだけで、
自分の人生の変化がわかる…
いいもんですね、花見。
Posted by gadogadojp at 22:13│Comments(0)
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