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2011年07月28日

「大鹿村騒動記」:僕たちは不良だ

立て続けに映画を三本鑑賞しました。
それぞれの印象を短く記事にしておきたいと思います。

まずは、原田芳雄さん出演の映画としては遺作となった「大鹿村騒動記」です。
原田さんの主演作はこれまで私には縁がなく、これがどうやら初めての作品です。
監督は阪本順治さん。私にとっては「闇の子供たち」以来の彼の作品です。

「仇も恨も是まで是まで」
(あだもうらみもこれまでこれまで)
村歌舞伎のこの台詞は、この映画の登場人物の決意だけでなく、私たちにはとても馴染みのある人生の「標語」ですよね。
この台詞が劇中でもよく生きていた作品でした。
仇や恨を消し去る為にはハレの日が必要なのだ、というのは忘れてはならない真理です。
祭りも村歌舞伎も、だからこそ今日まで命を保っているのです。
でもここでは、少し違う観点で書いていきます。


「大鹿村騒動記」:僕たちは不良だ




この映画は、
これが原田さんの遺作になるかも知れないと言う思いで製作されたのでしょう。
製作期間がわずか二週間だったそうです。
この短さが、よくも悪くもこの作品の性格を規定したようです。

舞台の背景となる長野県大鹿村での撮影は11月に行われました。
映画は、実際にこの大鹿村で村民の力で行われている歌舞伎公演に向かって進行します。
原田さんたち主要な出演者は、この歌舞伎に関わる人々という設定です。
大鹿村のHPによれば、大鹿歌舞伎の公演は5月と10月。
たとえば南アルプスに残雪が残る5月公演の終了時のエピソードあたりから映画をスタートさせれば、
美しい大鹿村の風景の変化を背景に取り込むことができ、
人間関係の描き方も深くなり、
良い意味での大作映画になったでしょう。
それほどこの映画の素材と出演者には魅力があるのです。

しかしそれはかないませんでした。
急いで製作しなければならないということは、歌舞伎公演直前に起こったドタバタ騒動を描くしかないということです。
つまり娯楽レベルでのコメディとして脚本を書くしかなかったことになります。

その準備期間が短かったことから起こった不満を具体的に1,2挙げます。
たとえば佐藤浩市の松たか子への想いの描写は、
たった一つの回想シーンでも追加されていれば、説得力がズンと深まったでしょう。
あるいは三国連太郎のシベリア抑留体験が、今の彼の行動に影を落としているような描写がわずかでもあれば、
この映画は観客の心が揺さぶられる重層的な本格コメディになり得たでしょう。
存在感のあるホンモノの役者を使う限り、
制作者側はそこまで配慮する義務があるのです。

しかしそれは不可能でした。
おそらく原田芳雄さんの体調が許す短い期間にやり遂げなければならなかったのでしょう。
出演者たちも半ばそれを知りつつ、スケジュールを強引に調整して結集したと思われます。

ところがそのことが逆に、
この映画の魅力を生み出したとも言えます。
一人一人の役者の今しかない想いの渾身の演技の光芒が、
原田芳雄、岸部一徳、大楠道代という主要な三人の俳優のまわりを飛び回って包むような、
こじんまりしながらも密度の高い佳作を生みました。
これは、
合宿のような撮影現場が醸し出したとも言え、
大鹿村の風土と村民の力とも言えそうです。


「大鹿村騒動記」:僕たちは不良だ




褒め言葉を具体的に書くには映画の筋の本流に触れなければなりません。
「仇も恨も是まで是まで」という肝心の台詞に向き合って書かないのも、封切り公開中の映画のネタばれになる記述はなるべく控えたいからです。

そこで最後に、
ずらり並んだ脇役たちの演技だけでなく、
原田さんの内向的な不良性、
岸部さんの外交的な不良性、
この二人の不良性がからみあうナマナマしくも飄々としたシーンを観るだけでも一見の価値があるということと、
この二人をはじめとする俳優たちの姿は、
日本のフツーの村のフツーの人々のフツーの可笑しさ、不良性に見事に立脚しているということを指摘して、
今回のブログの筆をおくことにします。

はは、
ニッポン人は不良です。
素敵じゃないですか。











タグ :映画シネマ

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Posted by gadogadojp at 20:30│Comments(0)映画
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