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2011年06月01日

「君が代条例」を許さない:その1

ネトウヨさんらは勉強が足りず、
ネトサヨさんたちは知恵が足りん。


ネット上のウヨクさんは、
歴史をさかのぼってもせいぜい進駐軍の時代まで。
よくがんばってる人で第二次大戦前まで。
頭脳明晰な橋下知事は明治維新まで?

でも、わたしゃ、
天照大神やらヤマトタケルやら記紀神話が大好きで、
天武持統やら後醍醐やら、
神明造に大社造、
前方後円墳から前方後方墳、
日本中の神社をかけめぐり、天皇陵墓を巡検し、
北一輝、大川周明も読み込んで、
専門家から見たら蝿みたいなものかも知れないけれど、勉強してきたのさ。

同時にマルクスやらバクーニンやら、
大杉栄やら山本義隆やら吉本隆明やら、
左と呼ばれる方向も勉強してきたのさ。
それだって、研究者からはハナもひっかけてくれないレベルだろうが。

マルクスにたとえば西原理恵子をプラスする視点がなぜ持てない、
ネット上のサヨクさん。
あ、そうそう、マルクスすら読んでないんだっけ。


世間的な物差しからみたら私はばりばりサヨクかもしれないけれど、
私は私。
ウヨクもサヨクも関係ない。
戦争と差別に反対しているだけ。
人の自立と自由を願っているだけ。
付和雷同や均質化を憎んでいるだけ。
生産手段を所有する者より、価値を創出する、現場で働く私たちの方がえらいと思っているだけ。
知事よりも主権を有する府民の方がえらいと思っているだけ。
左右を問わず、権威に盲従する人間や、
権威で人を誘導しようとする人間を軽蔑するだけ。


そういう私から見て、大阪維新の会が提出した今回の条例案、
いわゆる「君が代条例」「君が代起立条例」案は、
現行憲法下の政治家に許されている権限を逸脱している許されない提案だ。
維新という名の通り、天皇制の強化に名を借りた統制国家を志向しているのだろうが、
(明治維新はそういうクニを作った)
憲法を守らない公務員をどうして信用できますか。
強権に唯々諾々と従う教員に我が子を委ねられますか。



今はめちゃくちゃ忙しくて、
こんな話題を軽く書きたくないのだけれど、
条例案が府議会に提出された以上、
さしあたって貴重な時間をわずかに割いてでも、
ここに、
条例案に反対する人間がいることを宣言しておく

ただし、まとまった、理路整然とした文を書く余裕も無い今、
議論大好きな私だけど、
今回のブログに対してのコメントにはレスする気はありません、悪しからず。
一方的に駅前で撒かれたビラだと考えてください。


公立学校教員だって府民だ国民だ。
まして、表現や思想の自由の尊さを子供たちに訴える最前線に立つのが教員だ。
その肝心の教員の思想を、
条例でしばってどうする?

天皇陛下万歳と叫ぶ教員もいて、
普天間基地の辺野古移転を支持する教員がいて、
共産主義革命を訴える教員もいて、
沖縄から米軍基地をなくせという教員もいて、
自由闊達に、しかし子供たちの幸せのためにという一点で、
活発に議論する教育現場になるべきなのに。
それが、公務員が死守するべき憲法の精神なのに。


橋下知事は明確に公立学校の縮小、矮小化を狙っているのだが、
その政策のとどめにこの条例を提案しようとしているようだ。
教員のパワーを奪って教育のパワーが生まれるはずがないのだが、
(ごく一部を別枠にしてその他は)存在に値しないらしい公立学校などに、
パワーは必要ないというのだろう。
お上の言う通りに動く大多数の国民を育成する、という古典的な支配思想だ。
国政への転身のために大阪府民を実験台にしているとしか思えない。
彼の政策では大阪は元気になっていないのに。



なお、蛇足に近いが、
今度いつこの問題について書けるかわからないので付け加えさせてもらいます。

思想や教育という重大な問題に対し、儀式の優越を認めたような今回の最高裁判決に強く抗議する。

それから、

思想の自由の問題ではないと起立を強要する最高裁や大阪府知事の姿勢は、まさにこの問題が思想の問題であることを浮き彫りにしていることを指摘しておく。





タグ :政治

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Posted by gadogadojp at 00:25│Comments(0)評論・エッセイ
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