2011年02月20日
吉屋チルー:恨む比謝橋や
「恨む 比謝橋や 情きねん人ぬ 我身渡さと思てィ 掛きてィうちぇら」
(うらむ ひじゃばしや なさきねんひとぬ わんわたさとうむてぃ かきてぃうちぇら」
上原栄子さんの『辻の華』を読み進めている。
上原さんは、もちろん辻のジュリ(尾類)として育ち、
のち料亭を開き、
戦後は辻の復興に努めた方だ。
私にとって、辻や仲島、渡地と言う遊郭街とその遊女ジュリと言う生業に関する知識は、
まだ読み終わっていないこの著作と、比嘉慂さんの『美童物語』という(歯ごたえのある)漫画だけだ。
はなはだ心もとない。
けれど、
吉屋チルー(ツル)さんの物語は知っている。
古謝美佐子さんのコンサートで知り初めた。
その後少しだけ勉強した。
そして昨年末、
「恨む比謝橋や」の比謝橋の跡を訪れてみた。
これは戦前の石造橋の比謝橋。戦後米軍が破壊した。ただしチルーの時代は木造橋で、もちろん現存しない。
沖縄人ならどなたもご存知の彼女の物語を、
内地人の私がしたり顔で書くことは控えなければならない。
ご存じない方は、ネット上で簡単なストーリーが検索できるので、
そちらを頼ってほしい。
たとえば、私と同じti-daネットの株式会社リウデンブログなど、
すてきな写真込みでわかりやすく、お薦めできる。
だが、
ユシヤチルが本名であろうとなかろうと、
17世紀の琉球の那覇の仲島の遊女であっただろうこの女性の物語は、
世界の遊郭にはおそらく普遍の悲しい悲恋潭として、
大人ならだれの心をもつかんで離さない。
幸い彼女が優れた歌人であったため作品が残り人口に膾炙したおかげもあって、
私にだって、彼女に思いを馳せることはできるのだ。
また、たとえば「虎が雨」ブログに掲載された近代の辻の写真をご覧いただくと、
辛うじて17世紀の琉球の辻遊郭の姿の片鱗を想像できるかもしれない。
男性を介在させず、女性たちだけで運営された世界でも稀だろうこの辻の街のシステムは、
上記上原さんの著作を読んでもまだ私の手ではとらえられていない。
ましてチルーが生きて散った仲島の街は、
辻よりもワンランク下の首里公認の遊郭であったという情報もあり、
私には街のイメージが確立されていない。
橋付け替えの碑。でもどうしてもチルーの姿に見える。私は対話を試みた。「仲里若接司(ナカザトワカアジ)はいい男だったのか?」
古今東西、遊郭という場所は、男性の性的欲求不満の解消場所としてだけのために存在したのではないことは明白で、
そこには文化もあり、俗世の政治もあり、商談もあり、義理も人情も友愛もあった。
そこに棲む女性たちもまた人形ではなく<人>であった。
ましてチルーは歌人というアーチスト。
だから、この歌の意味をただ、親に売られたかわいそうな少女の恨みの歌、などと単純化してしまっては、
歌詠みチルーの仕掛けた罠にはまってしまう。
しかし女性の肉体の持つ吸引力、それを色香と呼ぶと美しい、があるゆえに男たちが其処に集い、通い上げたこともまた理の当然だ。
遊女は<人>なのだから、
通う男に錯乱したジュリがいても、それもまたありがちな事件とはいえ、悲劇に違いない。
安野モヨ子さんの漫画『さくらん』は江戸の遊郭街吉原の遊女きよ葉の物語だが、
第一巻の、いやきよ葉の人生のヘソのようなターニングポイントになるのが<笑う鬼>のエピソードだ。
ウブなイケメン青年惣次郎、
実は遊び慣れた商家のぼんぼん、
に入れあげて錯乱してしまったきよ葉は、
遊女の仕事を放棄し、男のナリをして足抜けする。
目指すのは惣次郎の実家の商家三松屋。
店の前で隠れて彼をさがし求めるきよ葉を見つけた惣次郎は、
驚きも動揺もまして愛も無い空っぽな笑顔をきよ葉に返す。
まだ二十歳にならないチルーが惚れ抜いた仲里若接司(ナカザトワカアジ―)が
笑う鬼でなかったことを祈る。
情け知らずな人は、人の心に橋を架けることすらできないから。
碑にはこう刻まれている〜
「恨む比謝橋や 情けないぬ人の わぬ渡さともて かけておきやら」
(恨めしい比謝橋よ、情知らずな人が私を渡そうと思って架けておいたのか)
(うらむ ひじゃばしや なさきねんひとぬ わんわたさとうむてぃ かきてぃうちぇら」
上原栄子さんの『辻の華』を読み進めている。
上原さんは、もちろん辻のジュリ(尾類)として育ち、
のち料亭を開き、
戦後は辻の復興に努めた方だ。
私にとって、辻や仲島、渡地と言う遊郭街とその遊女ジュリと言う生業に関する知識は、
まだ読み終わっていないこの著作と、比嘉慂さんの『美童物語』という(歯ごたえのある)漫画だけだ。
はなはだ心もとない。
けれど、
吉屋チルー(ツル)さんの物語は知っている。
古謝美佐子さんのコンサートで知り初めた。
その後少しだけ勉強した。
そして昨年末、
「恨む比謝橋や」の比謝橋の跡を訪れてみた。
これは戦前の石造橋の比謝橋。戦後米軍が破壊した。ただしチルーの時代は木造橋で、もちろん現存しない。
沖縄人ならどなたもご存知の彼女の物語を、
内地人の私がしたり顔で書くことは控えなければならない。
ご存じない方は、ネット上で簡単なストーリーが検索できるので、
そちらを頼ってほしい。
たとえば、私と同じti-daネットの株式会社リウデンブログなど、
すてきな写真込みでわかりやすく、お薦めできる。
だが、
ユシヤチルが本名であろうとなかろうと、
17世紀の琉球の那覇の仲島の遊女であっただろうこの女性の物語は、
世界の遊郭にはおそらく普遍の悲しい悲恋潭として、
大人ならだれの心をもつかんで離さない。
幸い彼女が優れた歌人であったため作品が残り人口に膾炙したおかげもあって、
私にだって、彼女に思いを馳せることはできるのだ。
また、たとえば「虎が雨」ブログに掲載された近代の辻の写真をご覧いただくと、
辛うじて17世紀の琉球の辻遊郭の姿の片鱗を想像できるかもしれない。
男性を介在させず、女性たちだけで運営された世界でも稀だろうこの辻の街のシステムは、
上記上原さんの著作を読んでもまだ私の手ではとらえられていない。
ましてチルーが生きて散った仲島の街は、
辻よりもワンランク下の首里公認の遊郭であったという情報もあり、
私には街のイメージが確立されていない。
橋付け替えの碑。でもどうしてもチルーの姿に見える。私は対話を試みた。「仲里若接司(ナカザトワカアジ)はいい男だったのか?」
古今東西、遊郭という場所は、男性の性的欲求不満の解消場所としてだけのために存在したのではないことは明白で、
そこには文化もあり、俗世の政治もあり、商談もあり、義理も人情も友愛もあった。
そこに棲む女性たちもまた人形ではなく<人>であった。
ましてチルーは歌人というアーチスト。
だから、この歌の意味をただ、親に売られたかわいそうな少女の恨みの歌、などと単純化してしまっては、
歌詠みチルーの仕掛けた罠にはまってしまう。
しかし女性の肉体の持つ吸引力、それを色香と呼ぶと美しい、があるゆえに男たちが其処に集い、通い上げたこともまた理の当然だ。
遊女は<人>なのだから、
通う男に錯乱したジュリがいても、それもまたありがちな事件とはいえ、悲劇に違いない。
安野モヨ子さんの漫画『さくらん』は江戸の遊郭街吉原の遊女きよ葉の物語だが、
第一巻の、いやきよ葉の人生のヘソのようなターニングポイントになるのが<笑う鬼>のエピソードだ。
ウブなイケメン青年惣次郎、
実は遊び慣れた商家のぼんぼん、
に入れあげて錯乱してしまったきよ葉は、
遊女の仕事を放棄し、男のナリをして足抜けする。
目指すのは惣次郎の実家の商家三松屋。
店の前で隠れて彼をさがし求めるきよ葉を見つけた惣次郎は、
驚きも動揺もまして愛も無い空っぽな笑顔をきよ葉に返す。
まだ二十歳にならないチルーが惚れ抜いた仲里若接司(ナカザトワカアジ―)が
笑う鬼でなかったことを祈る。
情け知らずな人は、人の心に橋を架けることすらできないから。
碑にはこう刻まれている〜
「恨む比謝橋や 情けないぬ人の わぬ渡さともて かけておきやら」
(恨めしい比謝橋よ、情知らずな人が私を渡そうと思って架けておいたのか)
Posted by gadogadojp at 12:30│Comments(0)
│沖縄史
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