2010年05月29日
辺野古/普天間
「福島大臣罷免」の大きな見出しが躍る今朝の大手朝刊各紙。
福島みずほ社民党党首は、党の主張と連立維持を秤にかけて、前者を選んだ。
党の主張と米国の都合を秤にかけて後者を選んだ民主党と一線を画したということだろう。
一番目立つ所でスジを通した社民党の選択は、
もちろん自党生き残りの計算に立っての行動だろうが、
政党という組織に否定的な私から見れば、
あるいはリアルな政治の力学の観点からも、
スジを通しただけで立派なものだと映る。
妥協する、あるいは屈服する時の人間の顔と、
スジを通す際の人間の顔とを比べれば、
どちらが誇らしげで輝いて見えるか、
如実に示した昨日の数々の報道映像だった。
しかし、
問題の本質はそこにはない。
大手新聞社の見出しの軽重で明らかなように、
もっとも重要なニュースの立ち位置を、東京発のメディアはすべてはき違えている。
もっとも大きな新聞見出しにならなければならなかったのは、
もっとも時間を割いたTV報道でなければならなかったのは、
『けっきょくは辺野古』
であるとか
『米国に屈服した日本政府』
あるいは
『アジアの米軍は今後も沖縄に』
さらに
『ごめんなさい、わたしたちはまたも沖縄を見捨てました』
であるべきであった。
米国の世界戦略は、
米国の軍事負担の整理/統合/軽減であって、
アジア各地の米軍基地は軒並み縮小や撤退を続けている中、
沖縄のみに巨大な基地を残し、
「米国の抑止力」「米国の出撃基地」の要として存続させようとしている。
このことに何ら切り込みができなかった歴代自民党政府と、
現在の鳩山政権。
嘉手納基地の長距離爆撃隊は、
北朝鮮が日本を攻撃する可能性を抑止するために常駐するとでも?
ベトナム戦争下の実態を、私は忘れてはいない。
嘉手納を空っぽにすれば、
さしあたって普天間基地を移動させるのは簡単なことだ。
海兵隊の抑止力だけが米国と日本の防衛上必要だと言うなら。
私は日米安保体制(いわゆる「日米同盟」:笑止)〜すなわち日本が米国に従属する関係〜を破棄すべしという立場だけれど、
それは少数意見として、まあさておき、
多数の日本人が
米国の核の傘のもとでぬくぬくと暮らしていたいと思うなら、
日本の内地は、応分の米軍基地を受け入れなければならないのはしごく当たり前のことだろう。
(大阪府の橋下知事の発言と文言上同じになるのは変な気分だが)
もっとも、米国はその分散を認めないだろうが、
それとは別次元の議論をしている。
これら問題の本質をほとんど論じず、
鳩山政権の揚げ足をとり
(とられる足があったことは言うまでもないが)
「政局」などという瑣末で目をひくことだけに精力を集中させてきた内地のメディア
新聞、TV、雑誌…
そして政治家や国民。
すべてが
総掛かりで沖縄を愚弄し、またもや沖縄を見捨てた。
わたしも同じ内地人、ヤマトンチューとして恥じ入るばかり。
遥か昔。
「沖縄を返せー」と叫ぶ東京の街のシュプレヒコールにかき消されながら、
「沖縄独立!」と訴えていた私たち少数の人間の不安は現実となって久しく、
さらに明日からも続くことになる。
沖縄を、あるいは徳之島も含めた琉球弧を食い物にしてきた人びとが断罪されねばならないのは当然として、
あの頃、「沖縄返還」に共鳴した人びとが、
その唇から出た言葉に、
いま、どうおとしまえをつけているのだろうか、
そのこともいま
目を据えて問いたい。
Posted by gadogadojp at 12:55│Comments(0)
│評論・エッセイ
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