てぃーだブログ › *いつか無国籍人になりたい › 歴史 › 伊勢本街道

2010年04月24日

伊勢本街道

伊勢本街道

  随所に立てられている標識。これは津市観光協会の設置。

伊勢本街道のルートは、
起点を平安京に置くのか、平城京に置くのかなど、
どの時代をメインに考えるかによってバリエーションがありますが、
ここでの当面の課題は古墳〜飛鳥時代の道ですから、
奈良県桜井市あたり(三輪山の麓)を起点としてみていくことにします。

すでに何度か書いてきた通り、
三輪山山麓の古代王権がアマテラスを伊勢に遷宮したのですから、
その後も相互に行き来があったと想定し、
そのルートを確認したいと考えています。

その道は単にアマテラスのためだけの道ではなく、畿内と伊勢、そして東国とをつなぐ重要なルートの一つであったと考えるからです。

最初、倭姫がアマテラスを鎮座させる地をさがして移動したとされる迂回ルート(「日本書紀」他)については、
別に考察したいと思います。




『伊勢本街道保存会』という会が、優れたHPを作成しておられます。
まずは、その中から、伊勢本街道のルートについて書かれた部分を抜粋させていただきます。

奈良(猿沢池)から出発し、三輪、初瀬(ここまでは初瀬街道とも)、榛原、山粕、菅野、奥津、多気、津留、相可、田丸などを経て、宮川を渡って山田(伊勢)に到る約129キロの行程だ。


google地図の機能を利用し、
このルートを地図上に描いてみます。

地図上の起点は桜井市巻向の箸墓古墳に置いてみます。
終点は、伝斎宮跡でもよいのですが、<五十鈴川の川上>の現伊勢内宮入り口の猿田彦神社としてみました。
結果、見事に「太陽の道」と重なっています。

以下をクリックしてください。読み込みに多少時間がかかります。
http://maps.google.co.jp/maps/ms?hl=ja&ie=UTF8&brcurrent=3,0x60043df54a474163:0x429e72fe7d388728,1&msa=0&msid=105533898093810207049.000484eec75d098faa71a&ll=34.603824,136.41449&spn=1.064771,1.766052&z=9


今回は、勢和多気インター付近から、西向きにこの道をたどりました。
下の写真はその出発点付近の風景です。正確には伊勢本街道ではなく、その南の和歌山街道ですが、まだまだ陽光が十分差し込む平地がひろがっています。
倭姫であれ歴代の斎宮であれ、のびやかな気分になれたことでしょう。

伊勢本街道





まもなく伊勢本街道に合流します。
この道の東半分は、高見山に源流を発する櫛田川(くしだがわ)とからみながら通じています。

伊勢本街道




さてこの櫛田川。
『櫛田川・香肌峡アルバム』という名の充実したHPの中に、櫛田神社の由来が掲載されています。
まずはこれを紹介させていただきます。

祭神記 
三重県伊勢国飯南郡櫛田村大字櫛田小字社 櫛田神社
本社は延喜式所載の神社にして祭神は大若子命里俗大社と号す。
創建の年紀を尋ねぬるに人皇11代垂仁御世22年癸丑年皇女倭姫命天照大神を奉戴せられ此所に行幸に節大若子命に汝の国名を『何問賜白佐久百張蘇我の国五百枝刺竹田の国止白支』其時倭姫命湯津爪櫛を川に落とし給い流れ行くを大若子命に早く取揚げよといい大若子命馬を早く馳付き櫛を取揚奉る倭姫命最喜悦給い茲に櫛田神社を定めて其処を櫛田と改称しその川を櫛田川と号け其瀬を早馬瀬といい玉いしとあり。


要約すると、
倭姫(ヤマトヒメ)が、この地で櫛を落とした。
大若子命がこれを取り上げた。
それで、この川を櫛田川と名付けた。
というのです。


道は次第に山が迫る狭間を通ることが増えてきます。
写真奥のとんがった山は高見山でしょうか。
高見山それ自体は、伊勢本街道沿いにはありません。

伊勢本街道




茶倉周辺。地名通り、茶畑が続きます。
この盆地では、稲作も可能だっただろうと思われます。

伊勢本街道




仁柿小学校。
山裾を縫うようなこのあたりは、わずかな棚田、畑以外の農耕は難しいと思われます。

伊勢本街道




地図にも目印を入れた仁柿峠付近の道と遠望。
標高は500mを超えませんが、近年整備された新道でさえ、寂しくかつ険しく見えます。
もともと伊勢本街道最大の難所であり、上り下りの激しい、山肌にへばりつくような道です。
崖崩れや盗賊から逃れることは難しいと思われます。
一部旧道も残っていて、標識が立てられています。

伊勢本街道



伊勢本街道




峠付近には集落もありました。

伊勢本街道




峠を下ると、御杖、奥津。
まもなく右手に特異な風貌の大洞山が姿を現します。
ここはちょうど<太陽の道>の直下に当たります。
斎宮の姫たちはこの山をどういう気持ちで眺めていたのでしょうか。

伊勢本街道




すでに分水嶺は過ぎていますから、この渓流の水は櫛田川には注ぎません。
西に向っていく先は木津川でしょうか。

伊勢本街道





さらに進むと、曽爾村の南をかすめます。右手には倶留尊(くろそ)山から連なる特徴のある曽爾の山並みが。

伊勢本街道




榛原、宇陀に近づくと、街道沿いに時折立派な構えの住宅が垣間見えます。
往古は旅籠もあったと聞きましたが、
おそらく林業の豊かさでしょう。
途中、農耕生産に適した地形はついにお目にかかりませんでした。

伊勢本街道




終点近くには長谷寺がありますが、今回はパスして進みます。
ようやく桜井市にたどりつき、スーパーの駐車場で休憩していると、
目の前の建物越しに夕映えの三輪山が出迎えてくれました。

伊勢本街道




しっかりした考察はこれから行わなければなりませんが、
伊勢本街道をほぼ踏破できてほっとしました。



同じカテゴリー(歴史)の記事

Posted by gadogadojp at 20:30│Comments(0)歴史
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。