2010年04月05日
櫻の樹の下には
『櫻の樹の下には死体が埋まっている』というのは、
もちろん梶井基次郎の短編小説のモティーフだが、
こんなアイデアを小学校に上がる前の幼い私に与えたのは誰だ。
西宮市仁川の住宅地に住んでいたその頃の私は自転車少年で、
近くのピクニックセンターや甲山に向かってよく一人で走っていたが、
ときどきは逆方向、阪急甲東園駅付近へ下ることがあった。
その場合は関西学院へのバスが通う道ではなく、
もう少し北側の、仁川の旧川筋の南堤防の、楠と山桃の並木道を通って、
一挙に甲東園の谷に下って行く。
当時は甲東園駅付近も静かな住宅地だったが、
その住宅地の間を縫う道をたどり、
坂を下って阪急電車の軌道をまたぐ小さな踏切をわたったらすぐ右、
軌道に平行に桜の古木が数本並んで植えられていた。
中で一番踏切近くの桜の樹が、
私にとってはその桜だった。
この土の下には死体が埋まっているのだと妙な確信があった私は、
その根元を自転車で踏み荒らさないように注意しながら、
少し落ち着かない気分でちらりと桜花を見上げてすぐに走り去った。
しかし帰り道にはまた同じ踏切をわたるため、
往路と同じようにやや遠巻きに通りながら、
ちらりと上を眺めた。
この情景の記憶がきわめて鮮明で、
二度や三度の経験ではなさそうだから、
きっと幼い私は怖いものみたさに、
桜花の季節には、山を登らずに甲東園にしばしば出かけたのだろう。
甲東園のソメイヨシノは数本だったし、
それ以降の人生で私は<その桜の樹>には出会っていないが、
ソメイヨシノが咲き乱れる季節になり、
ソメイヨシノが密生して植えられている場所にくると、
わあと感嘆の声をあげながら
なぜか不安な気持ちに包まれることが多かったのは、
そんな幼い頃の落ち着かなさがよみがえったせいだろうか。
青空のもとの桜より、
花曇りの桜が、
いまも少しこわい。
桜花と空とのさかいが茫漠としているからだ。
今日はそんな日だった。
桜の写真は、いずれも今日2010.4.5撮影。3.4枚目は午後一時、花曇りの泉佐野市日根野の桜。1,2枚目は青空が見えて来た夕刻の堺市茶山台の桜。
Posted by gadogadojp at 22:36│Comments(0)
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