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2010年01月16日

今年も神戸の鎮魂のために

今年も神戸の鎮魂のために



和泉市の高台にある私の部屋のベランダからは、六甲山脈をずらりと眺めることができます。
間をへだてる大阪湾はほとんど見えませんが、堺あたりの臨海工業地帯の工場群から立ちのぼる白煙はよく見えています。
ベランダが好きな私にとってはいつもの風景ですが、ときおりふっと15年前の一月十七日の光景がよみがえり、時を混同してしまう瞬間があります。

救援物資を車に積み込んでさあ神戸に向かおうという時ですら、神戸の風景から目がはなせませんでした。

あの日の冴え冴えとした空気の中、幾条にも立ちのぼる灰褐色の煙と神戸の街、そしてその背景の六甲山脈は、それはみごとなパノラマ。煙は美しくたなびいて、その火事に怯えておられるだろう何十万人もの被災者〜その中には私の両親も〜がいることが信じられないほどでした。

今年も神戸の鎮魂のために



毎年この日が近づくと、私は少し体調をくずします。おそらく一種のトラウマに負けてしまうのです。
今年は元気だと思っていたのですが、昨夜は珍しくうなされてめざめました。
親しい人たちが(地震が原因ではありませんが)無惨な亡くなり方をしたため、泣き叫んでいる夢を見て、目が覚めたのです。

ちなみに私はふだんまず泣くことはありません。
(映画鑑賞時を除きます:笑)

夢の直接の原因はわかっています。
ハイチ地震の映像をTVで見たからです。
倒壊した建物の隙間から力なく手だけが救いを求めて振られていました。
屈強そうな男性が、他の人を振り払って食べ物をわしづかみしました。

900万人の人口でもしも20万人の方が亡くなったのなら、日本では(人口比にすれば)それは300万人に該当します。
どんな国家であっても、迅速な救出/救援は不可能に近い数字でしょう。
ましてポルトープランスは首都。

思えば15年前は、ただちに神戸に向かうという具体的行動がとれました。
ふだんの十倍近い時間を要して、その間に見た光景は私の脳裏に今も焼き付いて離れませんが、それでも自分の行動が誰かの役に立つと信じることができました。

けれど、トルコ、台湾、スマトラ、四川、ハイチと続く地震の被害では、ただ打つ手もなく誰を救うこともできず、ただ悲しんでいるだけです。

胃袋が重たく感じられます。

今年も神戸の鎮魂のために



せめて、せめて、
と書いてもその後の言葉は続きません。
神や天国を信じる私であればよかったと思う今日です。

重い話題で失礼しました。

今年も神戸の鎮魂のために



※モノクロ写真三枚は、神戸の写真家大久保隆昌氏の作品を、許可を得て借用しました。


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Posted by gadogadojp at 18:30│Comments(0)できごと
 
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