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2008年10月03日

桃太郎ときびだんご

民話「桃太郎」のアニメを、オーストラリアから来た中学生に鑑賞してもらいながら、日本の高校生が英語で説明する〜
そんな場面に同席する機会がありました。

そのアニメでは単純な勧善懲悪ストーリーとして描かれていたので、英語での説明は最小限ですみます。
それでも、日本の高校生は、<鬼>の説明に難儀していました。
「日本のデーモンである」、「ホーン(つの)が生えている」…

<鬼>の正体については諸説あり、
実在説をとるならば、「異民族説」「西洋人説」がポピュラーなところです。
もちろん、完全な空想説を主張することもできます。

いずれにせよ、この物語が成立していた、遅くとも六百年前の室町時代の人々は、
<オニ>をおそれて暮らしていたにちがいありません。

しかし、不思議な存在はむしろ鬼より桃太郎かもしれません。
『鬼は、当時(室町時代)の子どもたちにとって身近な存在だったが、
桃から子どもが産まれるというくだりを母から聞いた子どもはびっくり仰天し、この物語に没入していった』
のかもしれません。
桃から子どもが産まれるというシュールな想像力は、近現代の人間たちが思いっきり置き捨ててしまった能力でしょう。

もちろん、世界各地に似たパターンの異形な出生伝説がありますが、
桃太郎は神でも氏族の祖先でもないところがユニークです。
繭に包まれて降臨したり、狼が産んだりした子どもは、たいていの場合神や一族の祖先です。
桃太郎はただ<鬼>を<退治>しただけですから、後世の人々に愛されこそすれ、信仰の対象にはなりえません。

孫悟空は、桃畑の桃を食べ荒らしたために、天界を追われました。
中国では不老不死の果実ともされる霊力のありげな果実、それも巨大な果実を用意しながら、
ただ<鬼>を一度<退治>しただけの桃太郎は、それ以外の人生は平凡に生きたように思えます。
桃太郎話の数多い分岐の一つでは、退治に出かけるまでの桃太郎はまるで「ものぐさ太郎」のような<役立たず>だったりします。
その場合、鬼退治は彼にとって、一生に一度の<きらめき>であったといえます。



さて、アニメには功罪があります。
見ている子どもたちから空想力と想像力を奪ってしまうところが最大のデメリットです。

アニメの桃太郎は、農民の子どもとして育ちながら、陣羽織のような服装をしており、
鬼退治にいくときにはさらに鉢巻きを締めて戦に出向くいでたちです。

室町時代の農村の暗い夜、
いろりのかすかな熾き火の明るさや
木壁の隙間から漏れる月明かりの中、
母からこの物語を聞かされている子どもたちの想像の中で、
桃太郎の服装は見慣れた野良着姿だったのかもしれません。

桃太郎の服装が戦闘服になり、刀をさし、手には日の丸が描かれた扇子をもつように描かれたのは、いつからのことでしょう。
もちろん、江戸時代までの絵双紙に描かれていたはずもなく、
それは明治以降の天皇制国家が富国強兵をめざし、海外侵略を夢見るようになってからのことです。

それまではイヌもキジもサルも<家来>などではなく、
ただの仲間でした。

「これから鬼の征伐に、ついてくるならあげましょう」
何を?

きびだんごを。


きびだんごとは何でしょう。
イヌやキジやサルはだれでしょう。

黍(キビ)は、日本列島に住んでいた人々にとって、たいへんになじみ深い、日常の穀物食料でした。
オーストラリアの中学生にとっての日本人は、いつも米を主食とする民族であるにちがいなく、
それどころか、
私たち現在の日本人も、自らを米食民族と考えがちです。
もちろんそれは誤りです。

寒冷地において、稲の栽培技術や品種改良が十分に進むまでは、
あるいは水田を作るのに十分な灌漑設備がない地域では、
また、段々畑を作れない傾斜地では、
アワ、ヒエ、キビ、ムギが重要な食料でした。
16世紀後半、米納年貢が原則となって以降はなおさら、農民が食べることのできる米の量は減ったものと考えられます。

黍(きび)団子とはどのような味の団子だったのでしょう。
今、ふつうに市販されている「きびだんご」は、岡山(旧国名では吉備)名物「吉備だんご」なのであって、穀物の「キビ」を原料にしたものではありません。主として米を材料とした羽二重餅です。

キビはコメと同じく、ウルチ種とモチ種があります。
キビを使った「キビモチ」を何度か食べたことがあります。各地方の道の駅などで買いました。
しかし、食べた感触は、モチ米で作った餅にウルチ種のキビを混ぜ込んだか、またはモチ米とモチ黍を合わせて搗いた食品に思えました。キビ100%のキビ餅やキビ団子は、たぶん食べたことがありません。

冒頭のオーストラリアの中学生には、このアニメを見てもらうにあたって、ホンモノのきび団子を食べていただこうと考えました。
先述のように、岡山の菓子はここでは不向きです。桃太郎が食べた団子とは違います。
そこでネット検索をかけて調べたところ、キビだけで作ったきび団子をネットで購入できる店は、一軒しか見つけられませんでした。

そのお店は、なんと東京の墨田区向島というゆかしい地域に店を構えておられる「吉備子屋」さんでした。
このお店や団子については、「うんぼく食べるよ」ブログに掲載していますが、
このお店のおかげで、桃太郎の「力のつくだんご」「日本一のだんご」のイメージが少し浮かんできました。

今回のこの文章は、桃太郎に関するとりあえずの随想に過ぎません。
いずれ、もう少し研究を重ね、gadogado風の桃太郎象を描いて見たいと思います。

太平洋地域には、果物から産まれた子どもの伝説があると聞きます。
ご存知の方がおられましたら、ぜひご教授いただけますよう、お願いいたします。




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Posted by gadogadojp at 22:26│Comments(2)評論・エッセイ
この記事へのコメント
少しむごいお話ですが、南太平洋ある月娘ハイヌウエレの根茎栽培神話というものがあります。
ココ椰子から生まれた少女の話なのですが、その少女を祭りの日に殺して埋めるのです。
その後、殺した少女を埋めたところを掘り起こし、体をバラバラにして埋めると、体の各部はイモとなりました・・・・という神話があるのを聞いたことがあります。

桃太郎は元の話では、桃を食べたお爺さんとお婆さんが若返ってというもので、ちゃんと人間から産まれた話だったようです。
いつから桃から産まれたとなってしまったのか分かりませんけどね・・・。
Posted by ☆らうっと at 2008年10月04日 03:53
らうっとさんこんにちは。
人間を埋めた場所からイモが生えた話は、うっすらと記憶がある伝承でしたが、「娘をバラバラ」でしたか……
ヤムイモ系なのかタロイモ系なのか、いずれにせよ、南太平洋の人々にとって、イモの大切さがわかる伝承ですね。
ありがとうございました。
Posted by gadogadojpgadogadojp at 2008年10月04日 09:10
 
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