てぃーだブログ › *いつか無国籍人になりたい › 評論・エッセイ › 和泉なる夕焼けは

2007年06月18日

和泉なる夕焼けは

和泉なる夕焼けは

6月16日(土曜日)。
和泉の国から見る夕焼けは、それはみごとな紅色でした。
思わず見とれた方も多かったのではありませんか。
(運転中に事故などおこしませんでしたか)
私は家の窓からこの景色を見つけた時、反射的に台所の奥様を呼んでいました。

そのとたん、一つの記憶を思い出したのです。
少年時代、西宮市に住んでいた頃、
夕餉の調理中の私の亡母は、綺麗な夕焼けに気づいたら、いつも私を呼び寄せてくれたことを。
お母さん、これって遺伝するのですかね。
お母さんのお母さんも同じことをしてくれたのですか。

奥様と二人して眺めている最中、
もう一つの記憶を思い出しました。
今では思考に脈絡の無くなっている老父の壮年時代のことを。
戦争体験を決して語らない父でしたが、ある日
「マニラの夕陽はなあ…」と、その美しさを私に話してくれました。
お父さん、マニラの夕焼けは、もっともっと紅色でしたか。
一足早く帰国した後、確か部隊は全滅したのでしたね。

親不孝な私がふた親を同時に思い出の舞台にのせるなんて。


和泉なる夕焼けは
 手前の水田を染める夕焼け色を撮影したかったのですが、腕前不足です。
 和泉市の高台からのショットですから、大阪湾をはさんで向こうにそびえるのは六甲連山です。

すっかり暗くなった頃、さらにもう一つの記憶がよみがえりました。
それは小林正樹監督の映画「怪談」の中の「雪女」の章。
仲代達矢扮する猟師を、岸恵子演じる雪女が…という物語でしたが、
この雪女は決して単なるおそろしい化け物ではなく、
セクシーな魅力あふれる真の魔性でした。
その証拠に、夕暮れのシーンでは、背景の空に夕焼け色の唇がぽっかり浮かんでいたのです。
ダリの唇形のソファよりも、さらにずっとなまめかしく。

そして今、この記事を書いている最中に、もう一つ、
毛色の異なる記憶の歌が、脳裏に響いています。
(一回の夕焼けで四度お得)
それはこまどり姉妹の唄う、
「一度でいいから、夕焼け色の、着物が着たいな、祭の夜は」
少女っぽいこの姉妹が貧しい身の上を嘆くこの歌を聴いて、
涙腺がアンコントローラブルになった幼い日。
嗚呼、あの頃のあの姉妹が唄うこの姉妹に、この色の着物を着せてあげたい。

と、かなり恥ずかしい思い出ですが、
だからといって、顔が夕焼け色になったなんてオチではありません。



同じカテゴリー(評論・エッセイ)の記事
スカラ・ニスカラ
スカラ・ニスカラ(2019-06-24 21:00)


Posted by gadogadojp at 00:44│Comments(2)評論・エッセイ
この記事へのコメント
こんばんわ。すばらしい。。。思わず息を呑むほどの。。。こんな美しい夕焼けは見たことがありません。。。謝謝
Posted by ゆみぴょん at 2007年07月02日 23:34
こちらこそ謝謝。
ひさしぶりに息をのむ思いをしました。
Posted by gadogadojpgadogadojp at 2007年07月03日 00:16
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。