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2007年05月03日

日本国憲法のあした

 憲法記念日を迎えるにあたり、日本人全員が、自分の憲法観を表明すべきではないか、そういう時代になったのではないかと認識しています。
 このことは、これまでこの憲法の元で(守られたりはじきとばされたりしながらも)生きて来たわたしたち「日本国民」の責任ではないかな、と考えるのです。
 まして沖縄の現状を見ていくと、沖縄好きな皆さんならより一層、ご自分の憲法観を表現してもらいたいなと願うgadogadoです。
 私も、ささやかながらここで参加します。昨年、機会があって、十代の人たちにむけて作った文を、若干補足してここに掲載することにします。
 駄文ではありますが、せっかく読んでいただけるなら読み込んでいただいて、文全体の意図するところを汲み取ってください。言葉尻をとらえたコメントはお断りします。


         日本国憲法のあした
 改憲の動きが活発な今日、憲法のあしたは微妙です。けれど微妙であるということは、私たちが考える余地も価値もあるということです。さあ、みなさんの出番です。
 この憲法には、改憲のための条件が記されています。つまり、憲法自身、変わる覚悟はあったことになります。ただし、その方向は私たちに委ねられています。理論上はどんな改変も可能です。たとえば核兵器を保有する憲法に変えることも可能ですし、天皇制を廃止することもできます。国家を愛することのできない人間を教育施設に収容することを条文に加えることもできますし、信仰の自由を禁止することもできます。もちろん、日本国をいずれ廃絶して世界単一国家をめざす憲法に変えることも可能です。改めるならどこをどのような方針で変えるべきか、考えてみましょうか。
 みなさんが知っている通り、この憲法は三つの原則で貫かれています。①国民に主権がある②平和を追求する(戦争放棄)③人権を尊重する(自由と生存の保障)の三原則です。この三原則を変更するかどうか、ここがまず検討するべきところですね。
 たとえば①主権は天皇にある②戦争を追求する③個人より国家が優先し、人権は無視する・・過激ですか?
 それでは、もう少し穏やかに、①主権は国民にあるが、状況次第では権力者に移る②平和を追求するが、状況次第では戦争する③人権は尊重するが、状況次第では自由を制限する・・などと変えましょうか。中途半端ですか?では三原則は変えませんか?・・・・

 みなさん一人一人が、しっかり憲法を読み込み、自分の考えで、改めるべきところと守るべきところを検討していきませんか。文学に比べれば平易な文です。行間を読む必要がありません。私は、一億三千万人それぞれの自由な判断と活発な議論の結果であれば、憲法は変えて良いと思うのです。核兵器を保有できる新憲法になったなら(そりゃあ私個人はとことん反対しますけど、)みなさんの「自由に基づく総意」で決まったのなら、それが日本人が選び取った日本のあしたなのでしょうよ。でもしかし、
 原則③、特に「思想と表現の自由」だけは、どんなに憲法を改めても絶対に変えてはならない、制限をつけてもいけない最後の砦なんだと考えます。なぜなら、ここが制限されてしまえば、「自由に基づく総意」がありえないことになるからです。(次々回の改正もできなくなりますよね。)人々が自分の力で考えなくなったり自由にものが言えなくなったりしたらなによりこわいよー、というこの日本国憲法のこの心だけは守っていきたいな。



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Posted by gadogadojp at 09:27│Comments(0)評論・エッセイ
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