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2012年09月23日

福島に行って来ました:その6


1)はじめに

福島に行って来ました:その6




ブログの続きがしばらく書けませんでした。
思い悩んだ末自分で出した結論にわたし自身がうちひしがれそうでした。
でも思い切らねばなりません。

美しく豊かだった福島の皆さんごめんなさい。
そこで生きていかねばならない現実も、そこに居たい願望も承知の上で申します。
おまえに何ができる、と叱られるでしょう。
どうぞ非難して下さい。でも、

福島中通り、浜通りは人が住んではいけない場所になってしまいました。
特に子供たち、これから子供を産む世代は可及的速やかに転居、疎開すべきです。
日本中の地方自治体は、がれきではなく、子供たちや家族を受け容れるためのアクションを今すぐおこすべきです。
住居、学校、仕事の算段が急務です。
来年度の予算に組み込むべきです。
山(海)村留学を実施している自治体は、福島に向けてPRを。

その根拠は、第一にわたしの直観です。
わずか二泊三日の53時間、ガイガーカウンター片手に淡々と福島東北部をまわっただけで、わたしの体内センサーはここは危険だと告げました。
わたしがわたしに納得させるには、この直観だけで十分なのですが、
これで読者の方に説得力が発揮できるはずはありません。

web上には無数の危険やその予兆が指摘されていますが、
動植物の畸形(きけい)や帯化(たいか)のように、日常的に出現している事例も多く、これをたまたま見つけただけで放射能の影響だと騒ぐ訳にはまいりません。(これとても、あまりに報告が増えてくれば、心配してよいとは思います。)
しかし、一読してまず間違いなさそうな報告もたくさんあります。
その内一つだけ具体例をあげて右代表としたいと思います。
(もちろん出所はダブルチェックしています。)

つい先日(9月11日)、福島県が県民健康管理調査結果を発表しました。これなら信憑性は高いでしょう。これによると、動転するような、子供たちの甲状腺異常が報告されています。

読んでいくのが面倒な方のために、簡単にポイントだけ申し上げれば、
①たとえば福島県の6~10歳の女児の53.8%に、甲状腺の<のう胞(嚢胞)>が発見された。
これは昨年の調査より26ポイント増加している。他の年齢も高い。
一般の出現率は、10歳前後男女児で0.5~1.0%である。
チェルノブイリ周辺の18歳未満児の平均で0.5%である。
②他の年齢でも、男児でも、同様に高い比率で出現している。
③周知の通り、放射線を被爆すると、特に子供の甲状腺への影響が深刻となる。
④のう胞とは「嚢胞(のうほう)とは、軟組織内に病的に形成された液状成分を持ち、液状成分周囲を固有の単層上皮に覆われている球状の嚢状物を指す。内容物が固体の場合は嚢腫と言う。」wikipedia良性のものも悪性のものもある。


この結果の数値は、さまざまなブログ等に引用されていますが、たとえば
「ざまあみやがれい!」ブログ「子ども達を放射能から守るネットワーク@ちば」を見て頂くのもわかりやすいかと思います。
また、医学博士松崎道幸氏の意見書では、別時期の同様の調査に基づいた論が読めます。



福島に行って来ました:その6

写真は、川俣町の耕作放棄地。もとは水田です。人の手が加わらなくても、こぼれたタネから今年もコスモスが咲いています。いえ、よく見ると、雑草が刈り取られています。危険を押して農民が来ているのですね。 — 場所: 福島県川俣町



2)福島で考えたこと

この夏、福島で得た原発事故関連のささやかな知見については「福島に行ってきました:その1」に書いています。
ここでは、その体験に基づいてわたしが考えたことを中心に書いていきます。
上記1)の結論に至った道筋ですが、論文ではありません。


私「神戸の震災は地震だけでしたが、ここでは津波が加わっているのですね。」
ドライバー「放射能というおまけまでついています。」

南相馬市の小高(おだか)は、福島原発から10km少々の地点で、且つ甚大な津波被害地です。
その町の道ばたで車を停め、客を乗せてやってきたタクシードライバーと立ち話をしました。その時の会話です。
ドライバーの声は穏やかでしたが、私に対するかすかな苛立ちか怒りが込められていたように感じました。
神戸の地震被害どころじゃないよ、と。
この地に至る道筋で、手持ちのガイガーカウンターの示す数値に打ちのめされていた私は、もちろん次に放射能についても話題にするつもりでしたが、彼の返答を聞いた後はうなずくことしかできなくなりました。

そのタクシーの客は二人の中年女性で、一人は郡山の方、もう一人は島根の方だったか。
二人はお友達で、福島の被災地を回っておられたようです。
実はこの方々は、その日、松川浦付近でも見かけていたのでした。

宮城や岩手の津波被害地には、今も被災地見学の旅行者が次々に訪れていると聞きます。
興味本位にカメラを向ける旅行者に非難が向けられたこともありましたが、
その旅行者が少しは現地の復興の役に立っている側面もあることでしょう。

けれど、福島県の、しかも原発に近いこの地域には、訪れる旅行者は稀です。
このお二人を除くと、他府県ナンバーの車が数台、仕事で来たのではなさそうな不審な挙動(私も同様)をしていましたが、それ以外には見かけません。
住民の姿もほとんど見かけません。
しかしここは「避難指示解除準備区域」です。

福島に行く前まで、私は、原発の是非についての判断を保留していました。
いえ、そう書くと正確ではありません。
以前の記事に書いたように、私は原発のスタート時から反原発の立場。
でもその認識はまだまだ甘うございました。
日本中の原発があっというまに全停止する異常事態を受けて、
数年から十年くらいは最低限の稼働は必要なのか、
それとも一挙にこのまま全停止を続けるべきか、
その判断を保留していたのです。
ですが福島に行き、小高で立ち止まって、
いまここで、根拠をあげて結論を出したいと思います。


福島に行って来ました:その6




南相馬市が発した「警戒区域、避難指示区域等の見直しに関する 市からのお知らせ」を見てみましょう。(これはもちろん、政府の方針に従って作成された通達です。)
このような「お知らせ」が、被爆した各自治体で配られたはずです。

福島県の被曝が激しかった地域は、年間積算線量、つまりその地で計測された放射能の濃度、言い換えれば被曝が想定される放射能の量に応じて三段階に分類されました。

※放射線の量を純粋に表す単位はBq(ベクレル)で、生体への影響を表す量がsv(シーベルト)です。ここではsv数値のみで書いています。
※㎜Sv(ミリシーベルト)はμSv(マイクロシーベルト)の千倍になります。


「避難指示解除準備区域」年間20㎜Sv以内の地域  
〜〜〜1時間あたりに換算すると2.283μSv以内

「居住制限区域」年間20㎜Sv超50㎜Sv以下の地域
〜〜〜1時間あたりに換算すると2.283~5.708μSv

「帰還困難区域」年間5 0㎜Sv超の地域     
〜〜〜1時間あたりに換算すると5.708μSv以上

南相馬市では、ここ小高を含めて、福島第一原発から20km圏内の従来の「警戒区域」がすべて「避難指示解除準備区域」と変更され、立ち入りが緩和されるのと同時に、居住に向けての準備が行われることになります。(現時点ではまだ宿泊はできません。)


福島に行って来ました:その6

              3号機の爆発写真:出典不明


さて私は、この8月、小高周辺の道路上1mの高さで数カ所計測しましたが、そこでは0.40~0.50μSvで推移していました。
これを年間値に換算すると4.38㎜Svとなりますから、確かに20㎜Sv以内に収まります。

福島県の放射能情報一覧で、付近の福浦小学校における計測値を見ると、0.259μSv/h。(2012.9.14)これは年間で2.27㎜Svですから、安心なようにも見えます。

しかしながら、以下の点を考えあわせると、とても安心はしていられません。

◇南相馬市の沿岸部(国道6号線付近)は、私のカウンターによると、福島県の他の地域と比べて数値がとても低い。なぜだろう、復興道路付近が一応の除染済みなのかもしれない。私は道路付近でしか計測していない。
同様に、公設の計測所付近も除染している可能性が高い。

◇除染は良いことだが、除染できない場所を基準に「避難指示解除準備」が進められているわけではないところが恐ろしい。東京ですらホットスポットが数多く出現しているのは周知の通り。この付近のホットスポットの放射線量を想像すると…。

◇公的な計測は、1mの高さで測られているが、地面で測らなくて良いのか。μSvではなくbq(ベクレル)で判断しなくて良いのか。セシウムより危険度の増すプルトニウムなどの元素計測値を発表しなくて良いのか。

◇チェルノブイリでは5㎜Svで居住禁止。しかし、福島では20㎜Svで居住禁止。この差は何?事故前は1㎜Sv超えは危険だと言ってなかった?
※チェルノブイリの事故の後の91年2月にウクライナ議会が可決した法律「汚染地域の定義」によると、「無条件に住民避難が必要な地域」は、その地での個人の年間被ばく量は0.5レム(5ミリシーベルト/年)とされている。また、年間3ミリシーベルト超で18歳以下退去。
出典http://blogs.yahoo.co.jp/huchisokun/60737649.html 他

◇福島第一原発には再爆発の危険がある。4号機を初めとして、安定している状態とは信じ難い。今も地下を含めて放射線を放出している。それどころか、再度メルトダウンする心配はない?その近くに再び住まわせるとは、人の行動として信じ難い。

◇まして再び地震(直下型含む)や津波が起きたら、またまた被爆させた上で再避難させるのか。

◇そもそも、すべての公開された情報は信頼できるのか、あるいは未発表の情報が無数にあるのではないのか。


福島に行って来ました:その6



わたしは、住んでいた場所を人為的な事故や政策の都合で奪われることの痛みや辛さはある程度わかるつもりでいます。
さらに、避難の後にコミュニティーから切り離された場合の心の不安は、少々のことでは修復できないことも知っています。
ダテに年を喰ったわけではありませんから。

ですから、福島の、特に農地や海を生業にしておられた方々の、故郷に帰りたいという思いは、それこそ命を賭けた願いだと承知しています。
だからこそこの夏までは、どうしても結論を出せなかったのでした。
しかし、やはりもう無理です。
とりわけ若い世代は住んではなりません。故郷に帰ってはなりません。
まして、市町村や国家や東電のつごうで子供を帰してはいけません。

参考:「福島第1原発:周辺10市町村の小中生半減 避難先で安定」の記事

国家と東京電力は、
彼らを無事「疎開」させ、次の生活を安心に送らせる責任と義務があります。
ととえ何兆円、何十兆円かかろうとも。





3)大阪に帰って考えたこと、いえ、日頃考えていること。

第二第三のFukushimaを生まないために、
そして、福島の復興のために、
われわれは何をしなければならないか。

福島第一原発の事故は、
日本の保守政治(まずは自民党、そして民主党、その他今まで原発政策に賛成した政治家達)が推進した国策の大失態であり、原発マネーに群がった、いやむしろ原発マネーを創出した日本/米国/英国/仏国等の原子力産業や官僚、学者等の複合体の利益の引き換えとなった犠牲であり、そして独占企業東京電力経営陣による、事なかれ隠蔽主義の産物でした。
つまり、この事故は、徹頭徹尾、「今日の独善的/利己的/凶暴な資本主義経済体制」そのものが元凶だったと言えます。

もちろん倫理的には、国民主権を謳う日本国憲法を持ちながらそれを生かさず、原発反対を貫くことができなかったわたしたち日本国民各自の責任を忘れるわけにはいきません。
ただ、わたしたちはやはり、「今日の独善的/利己的/凶暴な資本主義経済体制」の中で暮らしているために、個人の目先の利益だけを求める反知性的な生き方に陥ってしまっているのですから、結局はこの国の経済体制(=国家体制)を変革していかないことには、第二第三の福島が発生してしまうはずです。
それは何も原発事故に限定されるわけではありません。

資本主義経済という西欧発の経済体制は、世界の全ての徹底的な私有財産化をベースにした、そもそも自分の私有財産=利益<だけ>を追求するしくみでした。
そこでは「隣人の幸せ」や「万人の安全」などを考慮する必要性も義務感もなかったのです。
しかし、地球上にこの経済システムが広がって、同時に、「社会主義経済」という独裁的な生産手段の公有システムがライバルとして立ち現れると、「修正資本主義」と言う名のもと、福祉や労働者の権利を(一定)認めていくように軌道修正が画られ、外見上は、生産手段を所有する資本家と、持たない労働者とが同じ権利の土壌で暮らしているようにみせかける努力を始めました。

けれど、独裁国家ソ連とその配下の国家群がドミノ倒しのように崩壊してしまうと、修正資本主義はその<平等>と書かれたマントを脱ぎ捨て、再び野生のおもむくままに簒奪の限りを尽くすようになってしまったのです。
いえその野生は極限まで狡猾になり、政治家やメディアもほぼ手中に収め、敢然と刃向かう者は命の危険を感じるまでになりました。
この状態をわたしは、長ったらしくも「今日の独善的/利己的/凶暴な資本主義経済体制」と呼んだのでした。


福島に行って来ました:その6




この、ひたすら自己の利益を追求する国家経済システムは、一般の国民のサイフを痩せさせ、生活や行動を不自由にさせるだけではなく、我が国においてはこの美しい<日本>を徹底的に破壊してしまっても後悔しない凶暴さを持つことが、まざまざと今回の原発事故で証明されたはずです。

子供の頃から「国粋主義者」とからかわれていた私は、日本列島の風土、風景、人々、文化が大好きです。沖縄の海から東京の夜景に至るまで、興味関心が尽きません。
私は47都道府県すべてを訪れています。
日本の食べ物が好き、民謡が好き、神話が好き、方言が好き、神社仏閣が好き、子供からお年寄りまで好き…
このブログのタイトルのように、国籍がなくなればいいと、世界中を放浪したいと、いつも願っているわたしですが、それは日本文化と言う根っこがしっかり身に付いているから、と自覚しています。
そしてこのような、自分の生まれ育った土地を慈しむ心は、何も日本人に限らず、全人類に共通する感性だろうとも信じています。

その大好きな<日本>の一部を、しかもとびきりに手間をかけて作り上げた風景を持つ福島を、何十年から何百年にわたって人の住めない土地に汚してしまったのは、他ならぬ「独善的/利己的/凶暴な資本主義経済体制」それ自体です。
そして同種の破壊は世界を覆い、全地球規模で進行していると考えてよいはずです。

私はスミスでもケインズでもマルクスでもありませんので、未来の人間の経済システムを具体的に構想する能力がありません。
したがって、致命的な事故が起こらないような新しい経済システムをここで推奨することができないのが残念です。
しかし、百年後、五百年後の人類や地球の幸せのために、人類はどのような経済システムと国家像を構築して行けばよいのか、考え続けたいと思います。
いまこの問題を安易に法規制や倫理道徳の課題だとすりかえたくはありません。

日本をこれ以上実験材料にしてはいけません。
がれきの広域処理は認めません。
もちろん、原発再稼働は許しません。



福島に行って来ました:その6

 用水路沿いの放射線値は高かった:背後には、主たちが戻ってくるのを待つ家々がさびしそうだが


4)おわりに

小高町の国道沿いで、十人前後の女性たちが「清掃活動」をしていました。
マスクと手袋をしてはいましたが、防護服を着ているようには見えません。
土手下の落ち葉などを集めているようです。
高い放射能被曝の可能性が心配されます。
私は、彼女たちは付近の村の住民で、今日は日帰りで戻って清掃をしておられるのかと思いました。
地元民に放射能の危険について問いかけるのはためらわれ、そのまま通り過ぎました。

そこから数km先の、ここはオープンしている或る公的施設の係員に先ほど見た光景を告げ、村人が帰っているのですねと言いました。
すると係員は、たぶん違うと思います、と私に言いました。
避難している人たちが、現金収入に困って、日雇いの仕事に応募しているのだと思いますと。

一人の方の見方が正しいかどうか、私にはわかりませんが、
いかにもあり得そうなことだと思いました。

子供や妊婦の「疎開」すら実行せず、
それどころか居住可能地域を広げようとしているこの国家の非道な仕打ちを考えれば、
避難民の生活や健康などとるに足りない課題。

原発事故という国家と企業の重大な過失は、実は確信的な犯罪だったのだとわかります。


福島の皆さん、
彼らはあなた方をすでに見捨てています。
そして日本中の皆さん、
福島を見捨てているということは、
日本人と美しい日本のすべてを見捨てていることと同じです。


福島に行って来ました:その6

郡山在住K氏の写真を拝借しました


「福島に行って来ました」完

福島に行って来ました:その6
北九州市でがれきの焼却が始まりました。Sv値の上昇や喉の不調が多数報告されています。喉が痛くなったとすれば、それは放射能以外の有害物質の空中拡散のせいだと思われます。阪神淡路震災のあと、しばしば神戸に行った私は、その異様な口中の感じがよくわかります。アスベストも六価クロムも飛散しているでしょう。そしてもちろん放射能も。


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Posted by gadogadojp at 20:30│Comments(3)災害
この記事へのコメント
結論をおっしゃられていること、批判はしません。

ただ、これだけは言わせてください。
「第二第三のフクシマを・・・」この言葉は色んな人が言っておりますが、それはどうなのか?と毎回感じております。
確かに犠牲となった場所でしょうが、でも「東電原発事故のようなことが起きないように」と言う言葉のほうが合っているような・・・かえってフクシマというイメージが阻害されているような・・・偽善的な考えかもしれませんが、そんな気がするのです。

すいません私の勝手なコメントですが、なんか毎回その言葉に違和感があったので伝えさせていただきました。
Posted by ☆らうっと at 2012年11月16日 05:31
らうっとさん、コメントチェックを怠っていて、気付きませんでした。レスが遅くなってごめんなさい。
「フクシマ」という言い方への違和感、とてもよくわかります。わたしもためらったところです。
ただ、「東電原発事故」という言い方は、被害に合った人々の存在を忘れてしまいそうで私には使えません。
かつて広島に原爆が投下されました。あのできごとを、「米軍の第一回原爆投下」と呼ぶより、「ヒロシマ」と呼ぶ方が、数十万人に及ぶ被曝の実態のリアル感を忘れないためにはふさわしいのではないかと思っているのです。
Posted by gadogadojpgadogadojp at 2012年12月30日 00:45

南相馬の92才女性(2011年7月9日)の遺書

「毎日テレビで原発のニュースみてるといつよくなるかわからないやうだ またひなんするやうになったら老人はあしでまといになるから …こうするしかたありません さようなら 私はお墓にひなんします」
Posted by gadogadojpgadogadojp at 2013年03月08日 21:35
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