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2012年08月13日

福島に行って来ました:その2

福島報告の二回目になります。
津波について少し考えながら、何回かに分けて書いていきます。


福島に行って来ました:その2

相馬市原釜地区にて


リアス式海岸が続く宮城県や岩手県沿岸の津波被害に比べ、
福島県や茨城県の津波被害に関しての報道量はかなり少なかったように記憶しています。
wikiによると、2012年3月13日正午現在の福島県における死者、行方不明者の人数は2050人にのぼり、この内相当な比率の方々が、津波が原因で亡くなったと思われます。
福島=原発被害地、とだけとらえてしまっては犠牲者に申し訳が立たないのではないか、これも私を福島に向かわせた理由の一つでした。

でも私は福島県の地理にはまったくの不案内です。また限られた日程ですから、具体的にどの地点をまわれば良いのか、おおまかな目処だけ立てておきたいと思いました。
頼りにしたのは「日本地理学会 津波被害MAP」でした。国土地理院25000分の1地図とパソコン上で照合し、確実に通じているはずの国道115号を通ってその終点相馬市の松川浦付近に先ずたどりつくことだけを決めました。
そのあとは、通行止めになるまで福島第一原発に近づこうと方針を立てました。
出発時点では、それ以上の準備をせずにまず行ってみようとしたのは、いつもの私の旅のパターンであり、「曇り無き眼」を維持しておきたいからでもありました。

宿泊先は岳温泉です。そこから国道115号へ向かうルートはレンタカーのナビに任せました。結果的に県道51号と言う、他府県の旅行者にはマイナーな道を通れたことは、福島の美しさを知る上で有意義でした。霊山(りょうぜん)町下小国から国道115号に入ると、この道は明らかに復興のためのメイン道路になっている様子で、大型のトラックが目立ちます。途中「まきばのジャージー」という店が営業していると調べておいたので立寄り、ソフトクリームをいただきました。福島の乳製品を食べようと考える客が他に数組おられました。

ナビの目的地には相馬市役所を打ち込んでおきましたが、役所に用事はありません。市街地で車を停め、松川浦で検索しようとすると、これが結構な数の施設名がでてきます。「松川浦漁協」なら海沿いに着くに違いないと考え、そこをめざします。
宇多川を渡って左折し、海に向かいます。北側に低い岩の丘が連なっています。地質には素人の私ですが、大谷石に似た風合いのこの岩は凝灰岩でしょうか。個性のある風景です。すぐに海辺にたどりつきます。

真っ先に目に飛び込んで来たのは、破損したクルーザー?が積み重なっている風景です。
これが私の津波現場初体験の風景となりました。


福島に行って来ました:その2

(地中部分まで建てると法令違反になるという)巨大な丹下左膳之碑は無事でしたが。

福島に行って来ました:その2



福島に行って来ました:その2

ここにどのような建物があったにせよ…

福島に行って来ました:その2

仮杭に係留した小型の漁船の様子から、すでに漁業が再開されたことはわかります。

福島に行って来ました:その2

漁港の対岸の集落跡。25000分の1地図から推測すると、坂脇、大迫、小迫、宝迫、あたりの集落でしょう。木の茂る低い丘に注目して下さい。


港(跡)の前で、一人の地元の方とお話ができました。
よそ者の私に親切に、そして沈痛な面持ちでここで何が起こったのか話をしてくださいました。
ここで述べておきたいのは、その方の住んでおられた「部落」、おそらくは上の写真の説明に書いた(岩子地区内?の)坂脇、大迫、小迫、宝迫のいずれか(またはすべて)の集落のことだと思われますが、家屋はほぼ全滅し、しかし犠牲者は90を超えたおじいさん一人だったということ。他の人々は、すぐ後ろの丘に逃げたから助かった、ということ。

リアス式海岸でなければ、今回のような巨大な津波が押し寄せた場合、最高地点で15.2m(わずかに西に寄った稲田集落には21.0mの地点有り)の海抜しかない丘の上でも助かる可能性が十分あったことを意味します。
(ただしこの地点は松川浦という内海沿岸です。砂州が防波堤の役目を果たしていたことが考えられますので、外洋に直接面していれば必要な高度は違っていたでしょう。)

この地でも、先述の凝灰岩らしき岩山を切り取って平地を広げた形跡が随所に見られますが、完全に平坦にしてしまわなかったことが、多くの住民の命を助ける結果になったのでした。
津波警報が発令されても、住民は短時間で遠くに逃げることはできませんし、また、家屋を捨てて逃げてしまうことにためらうことは、今回の震災で明らかになりました。
集落のそばの高台の保全と、その高台へ登るルートの確保は、生命に直結する知恵として、改めて全人類に伝えていかねばならないと私は考えました。

福島に行って来ました:その2

切り取った岩山跡に民家が建っていた様子がわかります。


事前には敢えて検索しなかったYoutubeの画像を、帰宅してさがしたところ、この丘から撮影したのでないかと思われる津波襲来時の画像を見つけました。上述の集落は丘の南に位置しますが、北側の宇多川沿いにも民家がありました。どちらを向いて撮影しておられるのか、私にはわかりませんが、この岩子地区の映像であることはまちがいなさそうです。
偶然の一致ですが、数日前に訪問したばかりのわたしにはかなりこたえる映像です。
短い画像ですので、ぜひご覧になってください。



岩子地区  subaruru1 さん投稿




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Posted by gadogadojp at 20:00│Comments(0)災害
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