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2012年08月10日

福島に行って来ました:その1

「曇り無き眼で見定める」
『もののけ姫』のアシタカならそう言うでしょう。

私は、いえたぶん人は、自らの洞察力/想像力の不足するところを、「現場主義」〜つまり、現地に足を運び、自分をその場に置くことで補います。
その際に必要なのは、ただ、「曇り無き眼(まなこ)で見定める」こと。
無用なのは、予断を持って参加すること、
行ったことによる自己満足がもたらす安堵と終息感に浸ること。

ようやく念願の福島県に行って来ました。
子供時代の家族旅行以来になります。

私がこの旅に「曇り無き眼」で臨み、上手に振る舞えたかどうかはわかりませんが、
今は言いたくないある理由によって、まずまず甲斐はあったと思っています。
アシタカには遠く及びませんが。


福島に行って来ました:その1

川内村に向かう道


まずは道程の簡略な説明から。
ただ、ここはスルーしていただいても差し支えありません。
ただ、福島の地図に明るくない方は、何度かここに戻って頂ければ、と思います。

阿武隈山地の奥深い道と、海沿いのルートを走り、
可能な限り原発に近づこうとだけ決めていました。
宿泊は岳温泉。
できるだけ地元民の店で飲食などしようとしました。

こういう短い旅の結果を以下報告することにします。
今回は、主に原発事故に伴う放射線汚染地域についての報告になります。


地図上の記号
青い線=私がレンタカーで走った道路
赤い火事マーク=福島第一原子力発電所
赤い三角マーク=私が出会った通行止め
赤い押しピン=ガイガーカウンター(屋外:地上)で5μSv以上計測した地点
ピンクの半円=半径20km圏
ピンクの太い直線=北西に流れた放射線の方向(実際はもっと太く、年間20㎜Sv地帯が)
波マーク=私が視認した津波の被害(広範囲のもの)
※マップの調子が悪いため、一部表示されない場合があります。



より大きな地図で 福島の旅ルート を表示


福島に行って来ました:その1


          2012年3月11日までの累積放射線量(単位はミリシーベルト、          2011年5月17日付毎日新聞朝刊)



報告1  「美しい福島」
〜本当は、「美しく豊かな福島」と書きたいのですが〜

福島に行って来ました:その1

写真は、川俣町(?)の耕作放棄地。もとは水田です。人の手が加わらなくても、こぼれたタネから今年もコスモスが咲いています。 — 場所: 福島県川俣町


まず初めにお伝えしたいのは、福島県、特に今回重点的に回ってきた阿武隈(あぶくま)山地の風景の美しさです。
高い山でもせいぜい1000m。ほとんどはなだらかな老年期の山地が延々と連なる阿武隈山地では、谷間に水田や果樹園、そして牧畜のための草原が広がり、人の手が端然と加わった、美しい日本の農村の典型的な風景が広がっていました。

その代表例が飯館(いいだて)村。原発から30km以上離れたのどかな村にも、風に乗って放射線が降り注ぎました。他にも、浪江町、
大熊町、川俣町、南相馬市など、昨年のニュースでよく耳にした市町村の農民は、この山地に営々と日本の食糧供給地の一つを築いてきたのでした。
それらの市町村の農地、牧畜地のほとんどすべてが、今は放置されたままになっています。
地震や津波のせいではなく、原発事故のためにです。

食糧自給率が悲しいこの国にあって、有数の農産県福島の将来をどう考えていけばよいのでしょう。

福島に行って来ました:その1

もう子供をつくることのない私は、(この状況の中でがんばって経営を続けている)片平ジャージー牧場の美味しいソフトクリームをいただきましたが…





報告2  「こどものいない福島」

あるバス停で、体操服姿の小学生を一人発見して驚きました。
それほど、福島ではこどもの姿を見かけません。

飯館村の汚染地域の高台に、白石小学校という名が大きく描かれた立派な建物がありました。もちろん閉鎖されています。
そこから数㌔走った川俣町、ここは居住可能地域、そこに建つ川俣町の小学校のグランドのプレハブ校舎に、白石小学校という文字が書かれてありました。避難先の仮校舎でしょう。夏休ではありますが、日中の校庭にまったく人影がありません。

(それにしても、この教育環境をいつまで放置しておくのだ、国家は!いつまで学校を併存させておく?)

福島(とりわけ東半分)では、今もこどもは外で遊ばないのです。いえ、遊べないのです。

土湯温泉のこけし屋さんの女将がこう言いました。「(余裕のある家は)夏休み期間、子供を連れて福島から逃げ出しているのです。日本海で海遊びをしている家もありますよ。」

帰りの新幹線の車中では、家族連れの乗客が多数。日本にも子供がいたのだな、と変な感慨を持ちました。

写真は飯館村の民家。住民が帰れない家の一例。
民家だけでなく、商店も郵便局もすべて閉ざされたままのゴーストタウンが次々に。

こういう地域では、夏休み期間どころか、こどもどころか、家族全員がどこかに避難することを余儀なくされています。
「『放射能がうつる』などと避難先でいじめられていないだろうか」、という妻のことばが杞憂であればいいのですが。

福島に行って来ました:その1






報告3 「放射線量測定値」

福島では、TVの天気予報の時間にあわせて「放射線量測定値」が発表されるのです。
関電などの「でんき予報」やオリンピック報道が能天気に思えてしまうのは、一時的福島県民気分になってしまったからでしょう。

ちなみにこの夏、東北電力(女川など4基の原発所有:停止中)の節電数値目標はゼロ、ということです。


福島に行って来ました:その1

写真の葛尾村の7日の測定最大値は5.11マイクロシーベルトとなっていますが、私が同じ日に同じ村で測定したら6.38でした。もちろん、場所も高さも機械もちがうのですけれど。




報告4  「最接近」

今回、福島第一原子力発電所にもっとも近づいたのは、南相馬市の南端の行津(なめつ)。福島県の海沿い地域(浜通り)を南北に結ぶ国道6号線を南に進み、まもなく浪江町との境界というあたりです。
すぐ先の狭間を利用して警察が検問しており、特別な許可を得ていない車両は引き返さなくてはなりません。

福島に行って来ました:その1



警察官は、一見するとマスクと手袋だけの軽装備に見えますが、目を凝らすと、その制服が妙にダブダブしています。警官用の防護服なのでしょう。

実はこの地点は原発から10kmの至近。よくここまで来れたな、と自分で思いましたが、実際には交通規制がここまで行われていなかったから突き当たるまで来たに過ぎません。

少し手前でレンタカーを停め、もう行けない?と身振りで検問警察官に尋ねると、警官も身振りで×を作ってくれました。そこでその場で、ガイガーカウンターで計測を始めました。警官達はじっとこちらを注視しているのがわかりますが、徒歩で職質に来るには少し遠い、という絶妙の距離です。

測ってみると少々驚きました。0.45~0.50マイクロシーベルトという低めの計測値しかでません。これなら郡山市の郊外と変わりません。
検問に当たる警官の命にかかわることなので、数値が低いことは喜ぶべきことなのですが、何か肩すかしを食らわされた気分です。

考えられる理由は三つ。
1)すぐ近くに海があるので、爆発後、一年半の雨風でセシウムは流れ去った。
2)津波のあと海水がながくとどまっていたが、やがて放射線と共に排出された。
3)国道6号沿いは徹底して除染された。(第一原発に向かう東電社員たち、自衛隊等復旧にあたる公務員にとって重要なルートであると同時に、津波のがれき処理のための幹線道路でもあるから。実際、まだがれき処理は終息していません。)






報告5  「最大値」

今回の最大値は、目視で一瞬10.0μSvを超えた飯舘村芦原付近の道路沿いの草むら。でも直後に5.90まで下がったので、誤作動かもしれません。

継続して5.0μSvを超えた個所はいくつもありましたが、飯舘村白金集落の7.70μSvが目に留まった(屋外での)最高値。警報が鳴ると、覚悟を決めていたはずの私の背筋もゾクっ。
仮にこの数値で年間の被曝線量を算出すると、67.4㎜Sv。国際基準で原発作業員が1年間で許容される 被曝量は20㎜Svだそうです、参考までに。(20㎜Sv/year以下になれば自宅に帰って良い、と政府は住民に説明しています。恐ろし過ぎます。)

車内では、葛尾村葛尾の4.40μSvが異常な高さでした。他の場所では、車内はかなり低く出ますので、これはなぜでしょう。このガイガーカウンターでは、放射線の種類まではわかりません。セシウムだけだとは信じられないのですが。

通行可能な地域でときどき調べているだけでこのような状態です。通行止めの看板の向こう側は?


走っている間に、この地形は線量が高そうだ、という感じが徐々に予想できるようになりました。おおむね線量が高くなる地形は、というと…(悲しい学習成果)

1)川沿い。川が上流から運んで来て、屈曲部や合流部で堆積するのでしょう。したがって、原発事故が起こった地域では、ぜったいに河原で遊んではいけません。
2)谷間。福島では谷(大きな谷の場合)が開く方角が問題。
今回走った地域から原発はだいたい南東の方角になりますので、やはりそういう地形は高くなっていました。
3)峠付近。風が吹き抜けることがプラスかと思いきや、マイナスに働いたようです。

なお、まちがいなく極端に高い数値が出るはずの、家屋の軒下排水溝付近等は一切測定していません。高いのはわかりきっていますし、泥棒と間違えられやすいからです。自治体や警察による、無人集落のパトロールは活発です。何度も睨まれました。たぶん数枚写真にも撮影されています。

また、森の斜面下も危険です。落ち葉にはたくさんの放射性物質が含まれているでしょうが、雨上がりでしたので、私自身の衣服や靴、などへの付着を避けました。

1500年かけて築いた美しい福島の田園は台無しにされてしまいました。
原発事故によって避難した住民の数は、最大時で15万人を超えたといいます。


福島に行って来ました:その1

ファルーム製のガイガー・カウンター。写真で撮影できた最高値は6.13μSvでした。飯舘村白金付近の6.13μSvです。仮に大飯原発で同様の事故があったとすれば、北よりの風が吹いた日なら琵琶湖は間違いなく汚染され、関西の住民の生活も経済活動もストップすることになります。そうなれば避難者は千万人レベルになるでしょう。



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Posted by gadogadojp at 19:00│Comments(0)災害
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