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2010年04月07日

花の窟:海から見えるイワクラ

花の窟:海から見えるイワクラ花の窟:海から見えるイワクラ


































世界文化遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」の一部として登録されてから、
熊野市有馬町の花窟神社(はなのいわやじんじゃ)は俄然脚光を浴びることになりました。

国産みの夫婦神、イザナギとイザナミの内、女性のイザナミの埋葬地であるとの伝承があり、
(日本書紀の一書に「紀伊の熊野の有馬」の記述)
また、イザナミが出産した火の神カグツチの陵墓であるとも言われています。
この出産の結果、陰部を焼かれてイザナミは死んでいます。

けれどそんな伝説上の登場人物の陵墓比定は私の当面の課題ではなく、
ふだんから単純に磐座信仰に惹かれるgadogadoは、
この神社のご神体の巨岩を一目見たいと願っていたのですが、
このほどようやくその願いがかないました。


花の窟:海から見えるイワクラ




新宮方面から車で近づくと、熊野灘沿いに走る国道の真っ正面に岩が見えました。
するとすぐに花窟神社の表示があり、駐車場も整備され、案内板や茶屋も整っていて、世界文化遺産登録の威力を感じました。


近づくと、高さ70m(神社のHP)の巨岩が、圧倒的な迫力で直立しています。
カメラではとても全貌がとらえられません。
岩質は、付近の鬼ケ城と同じ凝灰岩なのでしょうか、明るい色です。
流れの速い熊野灘の海をいく船からは、古来から格好の航海の目印になっていたでしょう。

海からでもきっと目立つこの巨岩は、
(熊野には巨石が多いとはいえ)
陸行く人も衝撃を受けたにちがいありません。


磐座(いわくら)とは言うまでもなく、昔も今も信仰の対象となっている巨岩/巨石です。
けれど、もう少し歴史的な時間軸を導入して考えてみたいと思います。

その岩自体がカミなのか、つまり岩そのものに古代人は神性を見たのか、
あるいはカミがその磐座付近に存在している(憑いている)または降りるということなのか、
古代の人びとの最初の信仰のこころがどちらから始まったのか、私はどうしても知りたいのです。


つまり、古代人〜この場合縄文から弥生、古墳時代くらいまでを漠然と指していますが〜は、
巨岩を見てどう感じたのかということです。

この疑問を解消することは、私にとって重要なことなので、
各地で磐座とされた巨岩を拝観する際に、
できるだけ予断を捨て、ニュートラルな心でただそこに立つようにこころがけています。


「古来、人びとは祈りを捧げ、祭事を執り行ってきた。しかし、そもそもは何もないところに結界をつくって神を下ろすのが祭事の始まりであって、磐座はそのための目印だったのではないかと思われる。後になって目印そのものをご神体としたり、そこに社殿をつくって特別な礼拝所として、人びとが恒常的に祈りを捧げる場所としたのであろう。」<神々の眠る「熊野」を歩く>〜植島啓司著61ページ

ここに引用した植島氏の文が、いわば常識/定説としての磐座なのでしょう。
たとえば、以前に記事にした磐船神社の磐座は、<ニギハヤヒが降臨したのがこの岩の上(またはこの岩に乗って降臨)だ>とイメージされているようで、それはカミが依りつきやすい巨岩/巨石という受けとめ方なのでしょう。この場合、その磐座自体は神ではないのです。

しかし私がこの定説に対し、どうしても感じる違和感は、
この場合のカミはあくまで人神〜つまり人の形をしたカミであり、場合によってはこの人間社会に実在していたかもしれない姿でとらえられていることです。

記紀に語られる<神話>についてあれこれと考えている限りにおいてはこの推測は誤りではないでしょうし、
たとえばイザナミの姿を想像せよ、と言われたら私も美しい女性を思い浮かべるのですが、
日本列島で暮らしていた古代人にとって、
カミは果たして(それ以前から)ヒトの姿をしていたのでしょうか。

もちろん、先の植島氏も、記紀神話発生以前の縄文/弥生人のいわゆるアニミズムを否定されているわけではありませんし、この著書の守備範囲を超えているだけなのはわかるのですが、
私自身がなるべくニュートラルな心で磐座を、たとえばこの花の窟を初見したとき、
植島氏もしばしば言及される「空気感」が違う「特別な場所」と感じますから、
やはり、
巨石そのものに神性を見いだしていたのだ、
そこから後のヒトタイプの神の時代へとつながっていくのだと、
たとえ蛇足にせよ、確認しておきたいと考えるのです。

説得力のある論述はまったくできていませんが、
古代人はフジやアソの噴火にカミを感じたが、
ヒトの姿をしたカミの怒りが噴火を呼んだとは(当初)考えなかっただろうというぐらいの確信を持って、

カミは(あるいは精霊は)ヒトの姿からは始まらない。

これを私の暫定的テーゼとしておきます。


花の窟:海から見えるイワクラ

ここにイザナミが眠るといい

花の窟:海から見えるイワクラ

ここにその子、母を殺す原因となったカグツチが眠るという






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Posted by gadogadojp at 20:30│Comments(0)神社/仏閣
 
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