てぃーだブログ › *いつか無国籍人になりたい › 神社/仏閣 › 野中寺の朝鮮石人

2011年02月06日

野中寺の朝鮮石人

野中寺の朝鮮石人



1970年代、まだ若かった私の中に韓流ブームが沸き上がりました。
慶州や扶余の古代文化に触れたい気持ちと、
朴正煕軍事政権の実態を感じたいという気持ちがミックスし、
初めての海外旅行の行き先に大韓民国を選び、
わずか5〜6日の旅行をしただけで、
一挙に韓国/朝鮮の人々や文化、歴史に愛着を抱いたことが最大のきっかけでした。

その頃金達寿(キムタルス)氏や司馬遼太郎氏、上田正昭氏らによって、日本の古代史と朝鮮半島との深い結びつきの存在が主張され、
彼らの論説によって一層目を開かされたことも大きな要因でした。

日本の古代史に朝鮮半島由来の渡来人たちが大きな役割を果たしたことは、今日ではほぼどのフィールドでも認知されていると思われますが、
当時の日本の世相ではまだ朝鮮人とその文化への蔑視感情が強く、
話題にするだけで私を見る目が変わる人が多い、そんな時代でした。

余談になりますが、いま「無国籍人になりたい」というタイトルでブログを書いている日本人の私にとって、国籍とは何か、国家とは何かについてある確信を持てる契機となったのは、この私と同じはずの日本人たちの冷たい眼差しであったように思います。


野中寺の朝鮮石人



さて私の韓流ブームはその後、
文献に頼る我流の勉強と同時に、
機会があれば実地に探索を行うという形で継続しました。
たとえば近江湖東の石塔寺(いしどうじ)や百済寺をはじめ、畿内各地に残る渡来人に関わりが深いと思われる寺院や遺跡をよく訪問したのですが、
その中の一つがここ羽曳野の「野中寺(やちゅうじ)」でした。
その境内に残る朝鮮風の石人像を見たかったからです。

一目見てやはり驚きました。
すでに大韓民国で何体も見てきた石像と良く似ていたからです。
けれどそう結論づけるには実はどことなく違和感があったのですが、
それは意識の底に埋め込んでおきました。
良く似ている、という満足感を大事にしたかったからでしょう。
要するに自分のブームに乗ったミーハーだったわけです。
一種の自己愛ですね。

その後、堺市東端に近い職場で働くようになり、
羽曳野の卓越したうどん店「釜竹(かまちく)」さんをよく訪ねるようになったころ、
店の近くにあるこの野中寺に何度か参拝し、
そのつどこの朝鮮石人像と対話してみたところ、
最初に意識下に隠した違和感がじわじわと膨れ上がってくる思いが実感としてありました。
しかしその後職場が変わり、疑問は放置プレイ。
長い間ごぶさたしたあげくの今年の訪問でした。


野中寺の朝鮮石人




30年の時を経て、ようやく私の違和感の原因がつかめたように思います。

この石人像は完璧なのです。
時空を超えた理想像なのです。
以下、そのわけを実証を無視して観念的に書いてみます。

日朝は一衣帯水であると、
その文化は隔絶されておらず、連続性を持つのだと、
これは今でも私の基本的認識なのですが、
やはり故地を遥か離れた日本列島の河内の地に土着した百済びとの末裔たちは、
憧憬を込めた理想の姿をこの像に込めて刻ませたように思うのです。

この像が、どのような身分階級の朝鮮人を表現しているのか、迂闊なことにまだ調べてもいません。
が、誤りを承知で申せば、儒官や儒学者のような学教に携わる人の姿に思えます。
百済の古都の扶余(扶餘、プヨ)で何体か見かけた同様の石人が百済の儒官であるなら、
都を守護する守り神をイメージしたかもしれませんが、
同族ばかり暮らす町の中で同族の風貌をモデルに刻んでいたはずです。
作り手の技や風化の影響、時代性もあるでしょうが、
もっと親近感を抱かせる風貌であったように思います。

しかしここは倭国。
百済びとの末裔たちは、
自ずから完璧な百済びとの姿を見たかったのではないかと考えたのです。

言い換えればこの石人は仏であって、
喜怒哀楽や煩悩から解放された、
人間くささの無い穏やかな姿なのです。


野中寺の朝鮮石人



刻まれた時代は定かではありませんし、
もともと寺とは別の、いずれかの邸宅の庭に飾られていた可能性も高いと思われます。
儒学者の像であるゆえに、仏寺の仏とはなり得ないまま、
その後も境内の片隅に安置され続け、
しかし健気にも、
この河内に今も住むはずの渡来人の子孫たちとこの寺を守り続けておられるように思えます。
感傷に過ぎるでしょうか。



野中寺の朝鮮石人

 独自の伽藍配置を物語る礎石。


朝鮮石人への思いばかり書き連ね、
野中寺それじたいについては何も書かないまま、記事が終わってしまいそうです。
寺の開基にまつわる伝承だけは書いておかねばなりません。

この地、現在の藤井寺市や羽曳野市は、
古市古墳群の所在地としてよく知られていますが、
おそらくは古墳時代から飛鳥時代にかけて、百済系の渡来人が多く住み着いた場所でもあります。
その代表的な氏族が、
東方の葛井寺(ふじいでら)を氏寺とした葛井氏であり、
その同族で、
この野中寺を氏寺として建立した(と私は見ている)船氏になります。
船氏といえば、「船王後(ふねのおうご)墓誌」なる墓誌銘が良く知られていますが、ここでは省略します。
その船氏本体がいつの世まで存続していたか、私にはわかりませんが、
その邸宅にこの石人像が飾られていたと考えるのが素直ではないかと思うのです。

ただ、聖徳太子の命で蘇我馬子が開基したとの寺伝も残っています。
船氏の祖先の渡来はもっと古い時代であったのでしょうが、
仏教寺院を氏寺として建てることができたとは考えられませんから、
この寺伝は時代をさかのぼろうとした作為の結果だとは思うのですが、
しかしこれも不思議ではない符牒です。

詳細は略しますが、
先に述べた湖東の石塔寺の開基も聖徳太子と伝えられていますし、
蘇我馬子は百済系の渡来人の子孫であることはまず動かない線だと考えられるからです。


野中寺の朝鮮石人




蛇足ながら、
葛井氏の娘が大和の皇室に嫁ぎ、
成した子のその子がかの在原行平や在原業平。
でも彼らの美しさと彼らの激情を、
DNAに求めてはいけませんよね。



同じカテゴリー(神社/仏閣)の記事
手強い白山比咩神社
手強い白山比咩神社(2010-10-10 18:30)


Posted by gadogadojp at 16:30│Comments(6)神社/仏閣
この記事へのコメント
お邪魔します☆いつも密かに楽しませてもらってました!これからも更新楽しみにしてますね!最近、ドラマも歌もめっきり韓流になってしましたw
Posted by 荒川区 日暮里 美容室 at 2011年02月14日 18:11
荒川区 日暮里 美容室 さんこんにちは、初めまして。
読んでいただいてありがとうございます。
ひさしぶりに韓国へ渡りたい私です。
Posted by gadogadojpgadogadojp at 2011年02月14日 20:49
はじめまして。
最近引っ越しをしましたが、つい最近まで野中寺の近所に住んでた者です。
僕もこのお地蔵さんが大好きです。
1週間に1回ぐらい、お地蔵さんに会いに野中寺と隣にある氏神さんへお参りに行っていました。

上手く言葉で言えませんが、人間みな平等で一緒であると、お地蔵さんをお参りをして改めて心に思いました。
僕が悩んでいる時も何度も助けて頂きました。

気のせいかもしれませんが頻繁に会いにいくと、表情が違う日があるんですよ。
お花が枯れてたりしたら悲しそうな顔をしてます。

お花を供えた事は、まだありませんがお茶をお供えしています。
3枚目の写真に写っているお茶は僕がお供えしたんですよ。

野中寺の外にはトラックとか走ってるのに境内はものすごく静かで、お地蔵さんも心地良さそうです。

また会いに行きたいです。
Posted by やちゅう at 2011年05月01日 00:35
やちゅうさん、はじめまして、ようこそ。
そうですか、お茶はやちゅうさんが。
隣の神社と言うと、野々上八幡さんですか、
そこもいい神社ですね。

ひょっとして、うどんの「釜竹」もなじみですか?

行く日によって表情が違う〜
なんだかわかる気がします。

ブログを少々拝見しました。
お幸せそうで何よりです。
パッタイの美味しい店の名前をぜひ教えてください。

ではまたいずれ。
Posted by gadogadojpgadogadojp at 2011年05月02日 22:26
日本に来た渡来人って朝鮮人じゃないから
あと高句麗と百済は朝鮮人じゃないから…
Posted by 白丁の湖 at 2011年05月12日 15:47
白丁の湖さん、こんにちは。
申し訳ありませんが、コメントの趣旨が理解できません。
言葉の定義の問題でしょうか。

私のブログでは敢えてあいまいに書いてあります。
今日の地形の名称を使って過去の人々の総称に使うようにしています。

たとえば平安時代の日本列島に住む人々の総称は、倭人ではなく、あるいはアイヌ人でも沖縄人でもなく、日本人と書いています。
ですから、今日の朝鮮民主主義人民共和国と大韓民国の領土的範疇とほぼ同じ地域の古代人の総称は朝鮮人と呼ばせていただいております。
その時の個々の国家なり民族なりを区別して書く時には、たとえば高句麗人などと書くようにしています。
もっとも、それぞれの定義を完璧に峻別することは、現在の私の歴史研究のレベルではまだできておりませんので、過誤はあるかと思っています。

もしもご指摘の意図がこういうことでしたら、以上の説明をご理解していただければ幸いです。
ペンネームから拝察するに、朝鮮半島の歴史にはお詳しい方かと存じます。もしも不快な思いをなさったならどうかお許しください。
Posted by gadogadojpgadogadojp at 2011年05月12日 20:03
※このブログではブログの持ち主が承認した後、コメントが反映される設定です。
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。