スカラ・ニスカラ
スカラ・ニスカラ
スカラ・ニスカラとは
見える世界と見えない世界
バリ島の一種のことわざです。
バリの人は見えない霊を実在しないなどと決めつけません。
私たちは、自分が見えるものだけが実在すると考えてはいけない、と以前に書きました。
この”見える”を”わかる”と言い換えても同じです。
小・中学生の頃は、外向きにはなんでも知ってるよふふんそんなことくらいわかるよというフリをしましたが、
内心ではそんなはずがないことはわかっていましたので、
こっそりあらゆることを学び考えようと必死でした。
フリの中味を後から埋めようとしたわけです。
高校一年生くらいでしたか、あるとき気がついたのです。
どこか一つ高い山に自力で登ることができたら、その標高くらいの他の山の頂きは見ることができるのではないかと。
たとえ霧がかかって見ることができなくても、他に無数の頂きがあることさえ想像できれば、わたしはダメではないと。
自分で自分を救った瞬間でした。
フリの必要すらなくなりました。
それから自分の足でいくつかの山に登りました。
もちろん、自分で探した信頼できる先達に教わったことは無数にありますが、その登山道を踏み作ったのはわたしです。
スカラ・二スカラ。
たかが一人の人間が、あるいはたかが人間という種が、
この世界の全てを見ることができるはずがありません。
人におぶってもらわずに、一つ高い山に登りませんか。
霊や妖精が見えるかもしれませんし、
自分が言っていることが、誰かの都合の良いように仕向けられただけだということに気がつくかもしれませんし。
自力で小山ひとつ登ったことがない人が、
他人の考えを、ましてその存在を丸ごと否定するような発言をして良いはずがありません。
まして大人なら。
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