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2016年08月15日

8月15日:終戦の詔勅をめぐって

1945年から71年が経過した。
あの夏、

8月14日午後11時、大日本帝国は、ポツダム宣言受諾を連合国に通達した。
8月15日正午、昭和天皇の肉声によってポツダム宣言受諾を伝える「終戦の詔勅」が放送され、国民に敗戦が通知された。

国民に「真実」が知らされたのが決定の13時間後というのは、戦時の皇室や日本政府の対応としては迅速だったと言える。
また、神格化されていた天皇の肉声がラジオ電波に乗って日本中に流れたことは画期的だった。

しかしその詔勅は、あくまで旧憲法(大日本帝国憲法)や戦時体制の建前に立ったものであったから、現人神(あらひとがみ=神が人間の姿で現れた天皇)としてのきわめて尊大な宣言であった。しかも口語ではなく文語であったから、聞き取れなかった民衆が多かったという。


8月15日:終戦の詔勅をめぐって

royal.must-reading.infoより


その詔勅はこう始まる。
「朕深ク世界ノ大勢ト帝國ノ現状トニ鑑ミ非常ノ措置ヲ以テ時局ヲ收拾セムト欲シ茲ニ忠良ナル爾臣民ニ告ク」

朕(ちん=皇帝である私)は、世界の大勢(天下の形勢、現況)と大日本帝国(日本)の現状を考えた結果、非常の措置(通常なら行わない方法)を使って時局を収拾しようと望み、いま、忠実で善良なあなたがた臣民(私に臣属する国民)に伝えることにする。



つづいて、
「朕ハ帝國政府ヲシテ米英支蘇四國ニ對シ其ノ共同宣言ヲ受諾スル旨通告セシメタリ」

朕は、米、英、中、ソの四ヶ国に対して、ポツダム宣言受諾を通告するよう、大日本帝国政府に命令を下した。


「抑ゝ帝國臣民ノ康寧ヲ圖リ萬邦共榮ノ樂ヲ偕ニスルハ皇祖皇宗ノ遺範ニシテ朕ノ拳々措カサル所曩ニ米英二國ニ宣戰セル所以モ亦實ニ帝國ノ自存ト東亞ノ安定トヲ庶幾スルニ出テ他國ノ主權ヲ排シ領土ヲ侵スカ如キハ固ヨリ朕カ志ニアラス」

そもそも大日本帝国臣民の平穏無事を図り、同時に世界各国がともに繁栄する喜びを共有することは、皇祖皇宗(神武天皇以来の代々の天皇)が伝えてきた原則であり、朕も忘れることはなかった。先に米国と英国の二ヶ国に対して宣戦(戦争を開始する通告)した理由も、まさしく大日本帝国の自存(自立)とアジア諸国の安定とを心から願ったからであり、他国の主権を排除して領土を侵すようなことは、もちろん私の望むところではない。



終戦の詔勅(しょうちょく)の冒頭部分だけを紹介した。
この文章を一読するだけで以下のことがわかる。
(全文を読んでも同じである。)

1)戦争開始を命令した天皇みずからの反省の意思はみじんも感じられず、自己正当化しているにすぎない。
ただし昭和天皇は政府や軍部に責任転嫁もしていないことから、戦前の国家体制が、政府+軍部と天皇とがぜんたいとして一体化していたことよくわかる。したがって私は天皇にもっとも重い戦争責任があるとは考えていない。

2)日本国民の「康寧」、つまり平穏無事を企図してというが、民間人を含めて300万人の日本人の命を失わせ、数千万人の生活を不安と窮乏の坩堝(るつぼ)の中に投げ込んだ責任をどう考えるのか、何一つ語られていない。そもそも明治国家が朝鮮や中国への侵攻意思をあらわにして以来の日本の行動が、すべて大日本帝国の自立とアジアの安定のためであると考え続けるなら、この「大東亜戦争」も(自国とアジアのための)正義の戦いであるのだから、天皇が最後の一人となるまで戦い続ければ良かったはずだ。沖縄を除いた(!)日本の領土に敵国兵が上陸する寸前に降伏したのは、天皇・政府・軍が一体化した「国体」の「護持」のためであることは明白だ。
ただし降伏後に軍は詰め腹を切らされ、解体させられた。天皇と政府の方がしたたかであったとも言える。

3)他国の主権を排除して領土を侵すようなことはしたくなかった、というくだりはさらに笑止千万である。アイヌ、琉球、台湾、朝鮮の人々の主権を奪った歴史を(1945年の時点で)昔のことだと言い張っても、1932年の満州国設立を、満州民族の自立をめざしたものだと強弁していることに等しい欺瞞は許せるものではない。ましてこの戦争で我々日本人が直接間接に奪った数千万人の人命に対するひとことの鎮魂の祈りすらここには見えない。私見ではあるが、歴史上天皇の最大の役割は祈りではなかったのか。


国家がみずからの意思で侵略あるいは戦争を始めた以上、
それがたとえ建前上の自衛のためであっても、
国家は、あるいはその代表者は、
終戦や敗戦に当たって謝罪をすべきだろう。
国民に対して、そして交戦国の民衆に対して。
どんなに低いハードルで判断しても、
戦争は外交の失敗だからだ。
国家は国民の生命と生活を守るために在るからだ。

ひるがえってこんにちの日本は、
むしろこれ以上に責任をとりそうにもない人々が大手を振って歩いていないか。
政界で、
財界で、
インターネットの世界で。

みずから最終決断したことの反省と責任。
わたしたち社会人の最低限のモラルではないか。

戦後の日本は「平和が一番たいせつ、二度と戦争はしない。」というルールの中で生き延びてきた。
これはこれで同調圧力とも見えるが、実は違う。
悲痛な実経験に裏打ちされた、日本人共通の信条だった。
たぶん唯一無二の。

それが壊されてきている現状こそ、
(悪い意味での)アナーキズムの時代といえるのではないか。
(悪い意味での)アナーキズムは、強権に従う全体主義を招くことは人類歴史の通例だ。

自分の価値観を、自分の実体験のないまま、自分の外に、他人に求めてはならない。

追伸
2016年8月15日、天皇の「おことば」全文
於:戦没者追悼式
下線は筆者


本日、「戦没者を追悼し平和を祈念する日」に当たり、全国戦没者追悼式に臨み、さきの大戦において、かけがえのない命を失った数多くの人々とその遺族を思い、深い悲しみを新たにいたします。

 終戦以来既に71年、国民のたゆみない努力により、今日の我が国の平和と繁栄が築き上げられましたが、苦難に満ちた往時をしのぶとき、感慨は今なお尽きることがありません。

 ここに過去を顧み、深い反省とともに、今後、戦争の惨禍が再び繰り返されないことを切に願い、全国民と共に、戦陣に散り戦禍に倒れた人々に対し、心から追悼の意を表し、世界の平和と我が国の一層の発展を祈ります。

タグ :戦争天皇

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Posted by gadogadojp at 12:00│Comments(0)評論・エッセイ
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