吉本隆明さんが亡くなりました
吉本隆明さんは、私にとって最高の教師でした。
お会いしたことは一度もありませんが。
その吉本さんが亡くなりました。
以下は私の簡単な追悼文です。
いわば私が一人で行う葬儀です。
単に、空に届け、という気持ちで書いた自己満足のための文章をインターネットの世界に刻んでおきたいだけです、どうぞスルーなさってください。
党派や組織の論理を押し付ける者、
高みから自らの思想の正義を強制することでメシを食っているもの、
大衆を軽視するもの、
借り物の思想で己の言葉を満たす者、
そのような人々が彼の舌鋒の生け贄になっていました。
したがって彼の批判の矛先は、
いわゆる右翼国家主義者よりもむしろ、
当時は「正義」の立場にあった人々、
たとえば進歩的文化人、教育者、部落解放運動家、ソ連などに対してより辛辣で根源的であったと思います。
そういう者たちの正統性が失われていった時代になると、
彼の政治批評の刃が向けられる先はもう霧の中に隠れてしまいました。
国家主義者やファシストを否定することなど、
かれにとっては当たり前以前のことでしたから。
そうなると彼の輝かしい思想の営為の数々が、
もはやカビが生えた遺物のように受けとめられることはやむを得ません。
しかし、本来の思想家なら誰しも同じように、
彼はたくさんの土産を後世に残してくれました。
たとえば『自立』という言葉を、懐に忍ばせるお守りのように誰もが使う時代になったのは、彼の業績の浸透の結果だと考えますし、
著作『共同幻想論』は、未だにわが日本の現況に対して生々しい切れ味を保っていると私は見ます。
~その他、書き出せばきりがないほどです。
彼の思想的喧嘩の舌鋒は、類を見ないほど苛烈であったため、
私の読書の時間はたいてい流血の場になりました。
詩作を除いた彼の、ある時期までのほぼ全ての著作を読み通した私にとって、
彼に屈服しない自分を築き上げることは、生きる上で最も重要な裏テーマであったように思います。
そういう意味で、
かれは(御自身がもっとも嫌う職業の一つであったにもかかわらず)私の良き教師でした。
つつしんでご冥福をお祈りします。
そして、
ありがとうございました。
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