スウィーニー・トッド フリート街の悪魔の理髪師
「スウィーニー・トッド フリート街の悪魔の理髪師」
シアターBRAVA! での上演を観てきました。
BRAVO!の一言です。
役者、演出、歌、オーケストラ〜
一週間くらい見続けたいほどのできばえでした。
ジョニー・ディップ主演の映画版にはコメントを書いているのですが、舞台版で再び記事にすることができて幸せです。
とはいえ、ネット上には、
この芝居への詳細なコメントがすでに多数アップされています。
演劇鑑賞にかけては素人同然のgadogadoがしったかを書いても、海の藻くずと同じ。
以下は、いいものを観た、という備忘録に過ぎません。
市村正親さんの渾身の演技には目を見張るものがありました。
この殺人鬼の物語は、草食系に傾いた現代に生きる我々には、説得力に欠けるきらいがあります。
映画版では、むしろ殺人が嗜好になってしまった主人公像を設定することで、この溝を埋めたのだと思います。
だから映画は一種のおとぎ話にならざるを得ませんでした。
一方、宮本亜門氏の演出はもっとストレート。
復讐の念の強さだけを連続殺人の主たる動機としています。
この極端な肉食系(笑)の動機で観客を説得するには、
主役はよほどの内面の想いの深さを表現しなければなりません。
これは相当な力業です。
市村正親という役者はそれを可能にしました。
彼のスウィーニー・トッド、みごとです。
大竹しのぶさんの役割ミセス・ラヴェットはスウィーニーよりさらに複雑です。
昔好きだった男にときめき、海辺の町での新婚生活を夢見て唄う女。
人肉を平気で食べ物にして売る感性の無さや強欲さ。
この両立をこなせる俳優は多くはないでしょう。
ただしミセス・ラヴェットは、夫を亡くしたために以後の商売や人生に意欲を失ったパイ屋の女将なのでしょう。
ところがスウィーニーと再会し、彼に惹かれ、彼の復讐のオーラに誘発されて、
俄然生きる意欲を得たわけですから、その進む道には善悪の区別はありません。
大竹さん以外の女優でも、この筋道なら演じられるはずです。
女優大竹しのぶのすごさは、その先にあります。
何よりチャーミングです。人間を解体する人物がチャーミングなのです。
物語全体のパワーをダウンさせないでこれを実現できるとはとんでもない実力です。
舞台全体の要はもちろん常に市村さん。
役者全員は市村さんの周りで衛星のように演技しているのです。
大竹さんも、もっとも市村さんに近い位置とはいえ、その演技的ポジショニングは衛星です。
けれど、
観客席をすべて掌握していたのは大竹しのぶさん。
口の開け方とその向き、目線の配りとその向き…
あらゆる動作がそれを証明しています。
あらゆる場面で手を抜きません。
(もちろん他の役者が手抜きしているという意味ではありません。群集の中にいても、彼女の口の開き方や視線は全力投球ですから、他の役者はかないません。)
観客はいつもチャーミングな大竹さんがどこにいるかを意識しています。
なぜなら、大竹さんが誰よりも観客を意識しているからです。
希代の舞台女優ですね。
そのことが明白に理解できました。
他の役者、ソンドハイムの曲、セット、その他コメントしたいことは多数ありますが、
一番言いたかったことは書けましたので、
今回はこれで終わりにしたいと思います。
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