「B29搭乗員慰霊碑」と「安倍晴明神社」:龍神村殿原 =後編=
安倍晴明といえば、の五芒星(ごぼうせい):殿原の安倍晴明社
今回のドライブは「B29搭乗員慰霊碑」(前編参照)だけが目的地ではありませんでした。
同じ殿原の地には陰陽師(おんみょうじ)の安倍晴明(あべのはるあきら、せいめい)
が立ち寄ったという伝承が残っています。その地の景観と晴明のあらましの足取りを押さえておきたかったからという目的もありました。
安倍晴明という人物の足跡伝承は各地に残っています。それはちょうど修験道の始祖とも言われる役小角(えんのおづぬ、役行者)の足跡と同じく深山幽谷に及んでいます。しかし役小角が主に山岳、尾根を伝ったのと比べ、安倍晴明は山間を縫う川沿いの道を進んだように思えます。
また晴明は、”にゅう”の音のつく地名と深い関わりがあるようで、福井県の遠敷(おにゅう、大丹生か)、奈良県の丹生川上神社、和歌山県の丹生都比賣(にゅうつひめ)神社などの各地に晴明伝説が残っています。丹生とは丹(に)が生える場所、つまりは辰砂(しんしゃ、水銀の原料、赤色の顔料)採掘地のことです。
※丹生都比賣神社については過去のブログで考察しています。長文ですが、よろしければご覧ください。→『丹生都比賣神社:あなたは何者か、稚日女命』
辰砂(丹):wikipediaより
丹は邪馬台国の時代から重要な鉱物です。「奈良(の都)」の枕詞「青丹よし」は、青色と赤色をはじめとする色彩の豊かさを表しています。辰砂は川沿いで見つかることが多いと聞きます。安倍晴明の行動の謎を探るヒントになるでしょう。呪術には水銀が必要だったのでしょうか?それとも?
ここ龍神村殿原にも丹生川が、いえ、丹生ノ川が流れています。かつてはこの川のどこかで辰砂が採れていたのでしょう。その川に面した谷口という集落入り口に安倍晴明を祀る小さな祠(ほこら)と言いますか小社(やしろ)があり、鳥居も建っています。村民に大切にされていることがわかる手入れがされています。目の前の橋をわたって間も無く、晴明が妖獣猫又を封じ込めたと伝わる猫又の滝があるのですが、車では近寄れないと勘違いして行かずにおきました。また次の機会に猫又(ねこまた)に会いにいきましょう。それにしても、脳内で猫又像を描くと水木しげるさん描く猫娘になってしまう貧困な想像力!(呆)
※わずか下流に恩行司集落があります。この付近の川底で神秘の光を放つ玉石を村人が拾い上げ、これを晴明のご神体であると考え、谷口の里に祠を建て「安倍晴明大明神」と祀っている、という伝承があるそうです。またこの祠は近年場所を少し移動させて建てたという記述も見かけましたが未確認です。
ちなみにその妖怪は元は近くの山に住んでいて里の者や旅人に悪さをしていたそうです。(その時点では「猫又」とは呼ばれていないようで、よくある”猫が跨げるような細い滝”として名付けられていたのかもしれません。)通りかかった晴明は里の者に頼まれて妖怪を調伏しました。その際に妖怪は大雨を降らして抵抗したので、晴明は杖を柱にし笠を屋根にして雨を防いだため、その山を「笠塔山」と呼ぶようになった、という地名由来説が残っています。
晴明淵と名付けられた淵があると聞きましたが、どこがそれやら、、さしあたりこれだ、と決めておきます。晴明の大金を狙った一若という村人が晴明を崖からこの淵に突き落としたが、その晴明は生きていて石に腰掛けていた。一若の一族は晴明の呪文で死に絶えた、という伝承もあります。晴明が式神を操る者だとは知らなかったのでしょう。
紀伊半島は随所に吊橋がかかっています。車が交通を妨害しそうで渡らなかったのですが、ファンとしては良い景色です。
殿原に別れ、西に進みます。丹生ノ川も西流して間も無く日高川と出会います。その合流地点には案の定丹生神社が建っていますので、ご挨拶に行ってきました。丹生の神は水銀・辰砂の神であり、清流(&水害)の神でもあります。主祭神は丹生都比賣神でした。侮ってはならない神様ですので丁重に。ちょっぴり肌がピリピリ震えました。
原則、往復で道を変える私は、帰路を南部(みなべ)川沿いの国道424号にとりました。初めての道です。谷あいに梅の花の香りが充満しうっとりとなります。田辺市方向に車を向けます。
山崎ハコさんのCDが3周目の終わりに差し掛かる頃、自宅に着きました。